三角窓に100km/hでキンコン…。懐かしの装備、いくつ覚えてる?

■初期の自動車はウインカーの代わりに棒で曲がる方向を指していた!?

右左折するときはハンドル脇についたレバーを操作して方向指示器(ウインカー)を点滅させる。私たちは運転免許を取ってから何の疑いもなくウインカーを使っていますが、電球を使ったウインカーが普及したのは1950年代ごろから。

それ以前はボディから曲がる方向に棒がニョキッと飛び出す矢羽式方向指示器が使われていました。この装備、日本ではアポロ工業という会社が製造していたため、「アポロ」と呼ばれていたそうです。もしかしたらウインカーをアポロと呼んでいたお父さんやお爺さんもいるかもしれませんね。矢羽式方向指示器は電気式のウインカーの普及とともに急速に姿を消しました。

このクルマは’35年式のダットサン14型ロードスター。Aピラーについた黒いものが矢羽式方向指示器です。ちなみに矢羽式方向指示器が登場する前は、車体の後ろに付いた「LEFT」「RIGHT」という文字盤を手動で操作していたそうです。

 

■カーエアコンの勢力拡大で姿を消した三角窓

今ではどんなクルマにも搭載されているカーエアコン。でも多くのクルマで標準装備になったのは1990年代に入ってから。’80年代までは大衆車だとオプション扱いになっているものも珍しくありませんでした。理由のひとつに消費税導入前まで存在した物品税が挙げられます。税金が高くなるのを嫌い、クルマ購入時はエアコンレスにして、後付けエアコンを装着していたのです。カーエアコン自体は’70年代後半には一般的になっていました。

エアコンがない時代は窓を開けて車内に涼しい風を入れるしかありません。そんなときに活躍したのが三角窓です。前席のサイドウインドウの前についた小さな窓を開けると、ウインドウを全開にしなくても車内に外気が入ってきます。英語ではVentilated Window(ベンチレーテッドウインドウ)と呼ばれる、換気を目的とした三角窓。エアコンの普及や安全性への配慮などから、’70年代にはほぼ姿を消してしまいました。

 

■オプションが基本になった灰皿、かつては大型のモノが標準装備だった

日本たばこ産業(JT)が行った「2017年全国たばこ喫煙者率調査」によると、成人男性の平均喫煙率は28.2%。喫煙者は少数派です。ところが1971年の平均喫煙率は83.7%! 大多数の人が日常的に喫煙していたんですね。もちろん運転中にも喫煙する人はたくさんいたので、吸殻を捨てる灰皿は必需品。どのクルマにも大型の灰皿が標準装備でした。上の写真は’73年に登場したホンダライフピックアップのインテリア。インパネセンターに大型の灰皿がドンと置かれています。

カーナビの登場やインパネデザインの自由度を高めるために’90年代中盤から灰皿は徐々に小型化され(吸殻2本でいっぱいというものも)、現在ではほとんどのクルマから灰皿が姿を消しています。車内で喫煙したい人はドリンクホルダーなどに設置するオプション品を使うようになりました。

 

■かつては100km/hを超えると「キンコン…」とアラームが鳴っていた

一部の高速道路では試験的に最高速度が110km/hとなっていますが、日本の高速道路の最高速度は基本的に100km/h。1980年代中頃までのクルマは、100km/hを超えると「キンコンキンコン」とチャイムで速度超過を知らせ、減速を促していました。

この警告音は保安基準で定められていて車検の検査項目にも入っていましたが、眠気を誘発する危険があるなどの理由から’86年に廃止されました。

 

■1980年代、バックミラーのワイパーは高級車の証だった!?

雨や雪の日は、ミラーやサイドウインドウについた水滴で後方が確認しづらい…。そんな経験、一度はありますよね。1980年に登場した初代日産レパードは、悪天候での視界確保を目的としたフェンダーミラーワイパーを設定。

その後初代シーマやセドリック/グロリアにはドアミラーワイパーが装備されました。また、トヨタはマークⅡ、クレスタ、チェイサーの上級グレードにサイドウインドウワイパーを設定して後方視界を確保しました。

 

■ウインカーに連動してコーナーを照らすコーナリングランプ

夜間の運転で右左折するとき、前方を照らすヘッドライトでは曲がる方向を照らせずに危険。そこで誕生したのがウインカーに連動して曲がる方向を照らすコーナリングランプです。1980年代の高級車で採用するクルマが多数ありましたが、現在ではほとんど見かけなくなりました。

理由のひとつとしてヘッドライトが明るくなったため、コーナリングランプがなくてもカーブ時の進行方向が照らしやすくなったことが挙げられます。そしてステアリング操作に連動してヘッドライトの光軸を動かすアダプティブ・フロントライティング・システムの登場でコーナリングランプは役目を終えたのです。

 

■スポーツカーの証だったリトラクタブルヘッドライト

1970年代に沸き起こったスーパーカーブーム。ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリ・365BBなど日本でも人気のあったモデルに採用されていたことからスーパーカーライト(パカライ)とも呼ばれたリトラクタブルヘッドライト。国産車でも日産ガゼール(写真)、マツダサバンナRX-7、ホンダプレリュード、トヨタセリカなど多くのクルマが採用していました。

格納時には空力性能を高められるというメリットがありましたが、一方で点灯時の空力は悪化。また、開閉機構を付けることによる重量増や対人事故時の危険性などから採用車種は減っていき、国産車では2002年のマツダRX-7の製造終了時、そして’05年のシボレーコルベットのフルモデルチェンジで消滅することになりました。

 


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(文/高橋 満<ブリッジマン>)

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