■音楽制作は自身を掘って掘って、掘る作業

――とても素晴らしい考え方だと思います。吉野さんは普段、音楽はどういうタイミングやきっかけで作るのでしょう?
吉野:“よし、作るぞ”って感じで作っています。締め切りを設定して、そこまでに何曲作るぞ、と。ただ、テーマを決めてしまうと作る曲が限定されてしまうので、基本的に音楽を制作するときはテーマを設けないようにしています。とりあえず何かしら作ってみようって感じです。毎回必死ですよ。手探りです。30数年やっていますが、未だに一切慣れとかはないですね。ギターの手癖みたいなのはありますけど、それが上手く合ったり、逆に抜け出したいけど抜け出せなかったり、なかなか難しい。日々、推敲って感じです。推敲、推敲、また推敲。限界まで切り落として、切り落としすぎてしまったりとか。
――すごくストイックに向き合っているんですね。
吉野:曲の長さやギター、ベース、ドラムなどいろいろと制約がありますしね。楽譜とかは全然書けませんし、ギターのコードも知らないんです。もう感覚だけでやっていて。とりあえずフレーズをドンとひとつ作って、あとは煮詰めていくっていう感じなんですよね。言葉を乗せると合わなかったりして、それでまた修正。ちょっとずつ細かく直していく、というか。

――なかなか100点満点だ、みたいに思うことも難しそうな気がします。
吉野:そうですね。1発でできた曲もないわけではありませんが、稀有ですね。苦しんで生まれている曲が大半を占めています。
――となると、今後こういうことをしたいとかは決めずに動いている感じでしょうか?
吉野:こうなりたいとかこうしたいとか、何もないですね。むしろあえて考えないようにしているところもありますし。今、「自分の中に何があるのか」というのが大問題なので、それは毎回掘ってみないとわからないんですよね。
――その“掘る”という作業ですが、掘った結果アウトプットしたものが音楽になると思うのですが、インプットはどのようにされていますか?
吉野:あらゆることからインプットってできていると思うんです。例えばいろんなものを見たり、酒場に潜り込んでみたり、人と話してみたり。今この瞬間もそうですよね。アウトプットに繋げようとは普段から思っていないですよ。アウトプットのことを考えて生きていないというか。ただ、やるぞってなったときに掘らなくてはいけなくて、掘っても掘っても何もなければ何もない。何もないのであれば「何もないということ」を表現できれば良いのですが、なかなかそうならない。だから掘り続ける。それだけなんです。聴きたいから聴くし、読みたいから読むし、歩きたいから歩くし、飲みたいから飲む。そして掘り続ける。それだけです。
でも、誰でもそうなんじゃないでしょうか。もう、それぞれの生き方ですから。生きているとやりたくないこともいっぱいあるでしょうし。でも、その中でいろんなものに出会ったりするわけですから、それもすべてインプットになるわけですよね。

――なるほど。話は変わるのですが、吉野さんの楽曲はパワフルな楽曲が多い印象です。年齢を重ねた今でもその熱量みたいなものが落ちているようには感じません。何も意識せずにキープできるものなのでしょうか?
吉野:単にそういう生き方をしてきた人間ということなんだと思います。子供の頃からいろんなことがあって、こういう形になっただけで。子供時代は鬱屈としていて、抑圧とかがたくさんあって、そういうものに対してどこにも逃げ場がない状況だったんです。
そんなときにパンク・ロックがイギリスからやってきて。あんまり楽器弾けなくても良いらしいぞ、歌が上手じゃなくても良いらしい、とかデタラメでも良いっぽい、とか、まさに自分と似たような境遇の人たちの歌というか、怒りとか憎しみとか悲しみとか、そういうものを楽器が弾けなくても楽譜が読めなくてもギターで「ジャーン」と1発でやったっていいんだっていうのを知って、すごく勇気付けられたわけですよ。やってもいいんだ、見つけた、みたいな感じで。
それで兄がギターを持っていたんですけど、家を出るときに置いていって「やった!」と思って。全然弾き方なんてわからなかったんですけど、とにかくジャカジャカやったりなんかして。そこからですね。ずっとそのまま、今日まで続いています。

――そういった音楽を聴いて、ご自身でもやろうと。やっぱり音楽をやっているときは楽しいという感じなのでしょうか?
吉野:恐怖や抑圧など、そういうものを押し返すための手段でもあるので、楽しんでプレイするという感じでもないですが、かと言って苦しさをぶちまけてやろうとも思っていなくて。例えば、赤ちゃんって生まれたら「オギャー!」って泣きますよね。何で泣いているのか、理由なんてないじゃないですか。ただ生きているから「オギャー!」って泣くだけで。それに近いと思います。生きているからただ爆発させているだけ。
かっこいいと思ってほしいとか、誰かを勇気付けようとか、自分の憎しみや呪いみたいなものをぶちまけてやろうとか、誰かを幸せにしたり笑顔にしたいとかもありません。ただ、生きて、エネルギーを爆発させているだけで、その手段がたまたま音楽だったんです。

――たまたま音楽に出会ったおかげで今も我々は吉野さんの音楽を享受できているんですね。最後に、どういうイヤホンを選ぶと良いか、もしアドバイスするとすれば何でしょう?
吉野:個人的に耳の穴の形に合っているものを選ぶのが良いと思います。フィット感ですね。特に今はワイヤレスのモノが多いので、ポロッと落ちてしまうこともある。長く装着することも多いアイテムですし、案外大事なことですよね。グイッと耳に入れられるモノでないと、ノイズキャンセリング性能も落ちるでしょうし。ぼくは選ぶ基準のひとつが今言った装着性になっています。
<文/手柴太一(GoodsPress Web) 写真/高橋絵里奈>
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