街でも着たいアウトドア・ウエア!「スノーピーク」ができるまで

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山井梨沙(やまい・りさ) Snowpeak創立者の祖父・幸雄、現社長の父・太を持つ三世代目。 幼いころからあたりまえのようにキャンプや釣りなどの アウトドアに触れて育ち、2014FWからSnowpeakのアパレル 事業を立ち上げる。新世代の眼で日本のアウトドア文化をと らえ、Snowpeakが培った『ないものはつくるDNA』を受け継い だものづくりをファッションのフィルターを通し発信している。

 

▼「キャンプ」が当たり前だった幼少期

――まずは、山井さんとアウトドアの関わりについてお聞かせください。現在、お父様が社長を務められる「スノーピーク」ですが、山井さんも幼少時代からアウトドア三昧な生活を送られていたのですか?

山井梨沙:私の父はもともと東京で仕事をしていました。1986年にスノーピークに入社し、母と結婚して私が生まれました。私は新潟生まれの新潟育ち。私のキャンプデビューは1歳2カ月だったと聞いています。

まだ駆け出しだった父は自分で図面を書いてプロトタイプを作る毎日だったそうです。そして家族でキャンプに出かけてはプロトタイプを実際に使って検証していました。私もその頃から最低でも月に1、2度は一緒にキャンプに出かけていました。当時のキッズチェアは私を実験台に開発したそうです(笑)。

また父は当時から本気でフライをやっていて、私と出かけることを口実に使っていたみたいですよ。私は川で水遊び、その横で父はフライに興じているという。

――きっとその頃からオールシーズン大自然の中で過ごされていたのでしょうね。自然は急に寒くなったり天候が急変して雨が降りだしたり……。小さな子供には過酷なことも多々あります。そういう経験をして山井さん自身がアウトドアに出かけるのが嫌になることはなかったのでしょうか。

山井:なかったですね。本当に物心ついたときから自然と関わることが当たり前だったので、天候の変化なども無意識のうちに受け入れていたのかもしれません。また当時の住まいは三条市の街中だったので、クルマに乗ってキャンプに行くというワクワク感のほうが勝っていたのもあると思います。

――そんな山井さんが成長していくにつれ、自然との関わり方やキャンプの楽しみ方はどう変わっていったのですか?

山井:オートキャンプを楽しまれているご家庭では、お子様が中学生になった頃から一緒にキャンプをしなくなると言いますよね。……私も中学1年を最後にキャンプやアウトドアに興味がなくなり、まったく行かなくなりました(笑)」

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――まったく……ですか?

山井:はい、まったく(笑)。アウトドアを離れてからは本格的にファッションにのめり込んで東京の大学に進学。その頃は自然との関わり、アウトドアを楽しむということは考えていなかったんです。

そんな状態が長く続きましたが、スノーピークの本社(Snow Peak HEADQUARTERS)が出来た2011年4月に友達数人と久しぶりにキャンプをしました。そのとき、子供の頃に感じた “自然の中にいると楽しい” “落ち着く” という感覚が蘇ったのを覚えています。子供の頃と違うのは自然の中でいろいろなことを全部自分でできることでした。“自分で営む”ことがとても新鮮でしたね。

 

▼ファッションとアウトドアが繋がった

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