台湾の代表家電「大同電鍋」。炊飯以外の多機能性を広めたのはメーカーではなく普段使いしていたユーザーだった⁉

台湾では 「一家に1.8台」とも言われる万能調理家電「大同電鍋」((日)だいどうでんなべ・(台)ダートンディエングォ)1960年の発売からの65年間、基本設計を変えず、まさに「台湾の食卓を支えた」重要な家電です。

日本市場では2015年から発売をスタートし、今年までに累計2.5万台以上を販売。「大同電鍋」のシンプルな構造と、使い勝手の良さは現代の日本人ユーザーにもおおいに認められていることを示していると思います。

他方、この「大同電鍋」にまつわる開発秘話やストーリーについて、まだまだ知らないことが多いのも事実。そこで今回は、「大同電鍋」の日本の販社(販売会社)・大同日本・家電業務推進部 課長 林慕岳さんに話を聞きながらその歴史に迫ります。

▲大同日本・林慕岳さん

■東芝の自動式電気釜の技術が、海を渡って台湾へ

今日では「電鍋のメーカー」としてよく知られる大同が台湾で設立されたのは日本統治時代の1918年のこと。戦後の1949年には台湾家電ブランドとしては初めてとなる扇風機を開発し、大ヒットに至りました。

他方で、日本の家電メーカー・東芝が1955年に「ER-4」という自動式電気釜を発売し、これが日本国内で絶大なヒットに至ります。実はこの頃、大同と東芝では様々な家電や重電製品の技術提携を行なっており、ここで東芝の「ER-4」の技術が大同に継承されたと言われています。さらに、この技術を当時の台湾の家庭事情に合わせて調整し、1960年に誕生したのが「大同電鍋」でした。

▲日本初の自動式電気釜として、1950年に登場した東芝「ER-4」。この技術が海を渡って台湾に継承されました(画像:東芝)

「設立の1918年当初は製品の資材調達がメイン事業でした。やがて、建設業を始める一方、1949年に扇風機などの家電製造を始めました。さらに1956年には大同工業専科学校という、後に大学となる学校を開校。そして、1960年に台湾の家庭に革命を起こすこととなる『大同電鍋』を発売しました」(大同日本・林さん)

▲1960年に台湾で登場した初代「大同電鍋」

ここで林さんから興味深い話を聞きました。なんと1960年当初は、台湾国内で合計30社ほどが似た構造を持つ「電鍋」を製造、発売していたのだそうです。

「当時の資料を辿ると、そうだったらしいです。しかし、それでも発売年から3年ほどの普及率は、一番売れたと言われる台北でも8%ほどだったと言われています。原因は価格が高額だったからで、当初『電鍋』を製造していた多くのメーカーが生産を終了しました。

そんな中で、『大同電鍋』だけが何故残ったかと言うと、まず、大同は当時国が支援する『重点発展企業』に指定されるほど開発と製造技術が高かったこと。そして、『大同電鍋』のマーケティングと広報に力を注いだことにありました。発売から3年間はそう多く売れなかった『大同電鍋』ですが、このマーケティングと広報の結果、1963年には20万台の販売を記録。そして、これだけ浸透したことで、大幅な値下げも実施し、さらにシェアが拡大していったという流れです」(大同日本・林さん)

▲後に「大同電鍋」はポップで親しみやすいカラーリングなどによって、台湾の家庭に溶け込んでいきました

▲現行モデルのセット内訳。シンプルで無駄のないセットです

【次ページ】「大同電鍋」の多機能性を広めたのはユーザーだった

この記事のタイトルとURLをコピーする

関連するキーワード