■「3交代・24時間稼働の服飾工場」で感じた疑問
▲快く取材に応じてくださったヂェン先生
ヂェン先生は1956年、台湾南部の古都・台南に生まれました。
そして、1975年頃のハタチ前後に台湾北部の服飾工場に勤務しますが、ときは大量生産の時代です。3交代24時間で服飾を作る日々を送り、そのリーダーとして何十人かの工員を統括する立場だったヂェン先生は「働く若者たちの権利も全くない……こんなことは続かないだろうし、私がやりたいことではない」「シャトルのように早いスピードで流れていくだけで、『残るもの』『継承される伝統』は何もないではないか」と考えていたと言います。やがてヂェン先生は「真の理想的な服作り」を目指し、まずは2つのラインから「理想的な服づくり」を模索していきます。
「一つは台湾原住民(現地呼称ママ)。台湾には複数の原住民族が存在しますが、彼らは手織りによる民族服を作り、それらがとても美しく、アイデンティティとされていました。そこで原住民族を訪ね、服作りの勉強をしましたが、突き詰めていくと、1点1点とても丁寧に気持ちを込めて作り上げるため『理想的な生産』は難しいことを知りました。
そして、もう1つは芸術としての服作り。しかし、これも1点ずつ素晴らしい服を作れたとしても、やはり『理想的な生産』にはなりません。
ただし、この2つの文化や素晴らしいストーリーだけはどうしても継承させたい。そこを転生させるために、自分自身ができることを融合させながら、新しい道を探れないかとさらに模索していきました」(ヂェン先生)
■性別・職業・年齢・サイズ・外見全てから開放される「日常着」
サステナビリティが浸透した今でこそ消費社会に疑問を感じ、同じような考えを持つ若者は少なくないかもしれませんが、今から50年近く前にこのようなことを考えたヂェン先生。当時の服飾業界をイメージするに、何年も早く社会意識を持っていたようにと感じます。
「売り上げばかりを追求するのではなく、個人個人、大きな未来像を求めるにあたり、何を願い行動していくべきか。そんなことを模索し、行き着いたのが仏教でした。
禅士さんに出会い、自分自身の思考の仕方から、人の生活で本当に大切なことは何か……こういった悟りを大切に、服飾にも活かすことにしました」(ヂェン先生)
ヂェン先生の思考の最後にたどり着いた服飾は、誰もが日常的に身につけることができる「日常着」。特定の富裕層しか手に入れられない「ファッション」ではなく、誰もが日常着を通して生きる思考を共有できるようなものでした。もちろん、それには性別も関係ないとヂェン先生は言います。
▲「ヂェン先生の日常着」は自分自身に気持ちを向けるための衣服です
「仏教では、性別・職業・年齢は関係ありません。こういった棲み分けにこだわりすぎると、本来の姿が見えなくなるものです。また、何か活動をするシーンも限定しない。仕事をするとき・寝るとき・休むとき……どんなときでも着られるし、なんの妨害もない服飾として、『布服』を作り始めました。そして、服に人間が縛られず、生活の苦しさ、時間、サイズ、外見といったことから開放され、もっと自分自身に気持ちを向ける服飾に、と反映しています」(ヂェン先生)
そして、台湾で立ち上がったヂェン先生のブランドは「惠中布衣(台:ホェチョンブーイ)」。以来、単に衣服という「モノ」としての素晴らしさだけでなく、ヂェン先生の思考にも共感した台湾の茶人、書家、舞踏家といった文化人に愛され、後に日本にも飛び火し、支持を得るようになりました。
▲ヂェン先生のアトリエには様々な文化人が訪れるそうです。取材時もたまたま舞踏家・モデルの男性がいらっしゃいました
「ヂェン先生の日常着」という、およそファッションブランドにない日本における呼称は、ヂェン先生の思いに共感した作家で『暮らしの手帖』元編集長の松浦弥太郎さんが最初に名付けたのだそうです。
「この呼称は、私の理念とすごく合うなと思いました。私が作る服は、くつろぎ、自由な、そして欲張らない、平和な『日常着』です」(ヂェン先生)
■綿と麻の混紡素材を使って、アトリエの徒歩圏内で全て完成させる
▲ヂェン先生の台湾での公式サイト「時喜人文」より
ところで「ヂェン先生の日常着」の多くは、綿と麻の混紡素材によって作られています。実はこの素材にも、前述のような思いが隠されています。特に夏場は麻100%の服はオシャレで清涼感があって重宝されますが、着心地・手入れといった面では少しハードルが高い素材でもあります。そうなると、ヂェン先生が考える「くつろぎ、自由な服」にはなりません。こういったことから綿と麻を混紡させることで自由な「日常着」に昇華させているのだと言います。
「綿と麻は100年以上前から私たちの生活の中に伝統的に使われてきた素材ですが、化学繊維が発明されて以降は、少しずつ衰退していきました。しかし、この綿と麻を混紡させた素材にこそ、私の作る服の重要なポイントがあり、言わば私にとっては『伝統素材を継承する』といった意味も込めているのです」(ヂェン先生)
▲「日常着」に昇華された綿と麻の混紡素材
▲誰でも、どんなシーンでも自由に楽に着こなすことができます
▲もちろん冬服も風合い良く、着心地の良いアイテムばかり
▲厚手の生地を使ったワークシャツとパンツ
また、その制作工程もシンプル。今回お邪魔したアトリエ近くの工場で布を織り、さらに徒歩圏内のエリアで暮らす女性たちが手作りしているのだそうです。さらに、でき上がった服はその女性たちが一度納品し、最後に染め場で攻めて出来上がるというもの。
台湾の町中では、例えば、帆布専門の店頭で、店主が手作りで帆布バッグを製造し、出来上がったバッグを、そのすぐ脇で販売する……という光景をよく目にします。流通をできるだけ介さず、さらに作り手・使い手が身近に接することができるわけですが、まさにこのスタイルを「ヂェン先生の日常着」も採用しているというわけです。

































