生産台数1億台突破!世界の経済は“カブ”で回る【ニッポン発の傑作モノ】

■日本の経済を成長させ海外でも大活躍!

日本はもちろんアジア、欧米、欧州など世界の約8割の国で販売されるホンダの「スーパーカブ」は、流通面において50年以上に渡り世界経済を支え続けてきた。そんな“エポックメイキング”はいかにして生まれ、なぜ世界の人々に支持されたのか、あらためてその偉業を振り返ろう。

▲「今秋発売」と予告宣伝を、1958年7月3日の朝日新聞に掲載。エンジン性能やスタイルについて述べられているが、最大のセールスポイントは「片手運転」できること!?

ホンダ「スーパーカブ」。その姿はあまりにも身近で、我々の暮らしにすっかり溶け込んでいる。それだけにあまり意識することはないが、この原動機付自転車は、庶民の生活に寄り添って大ヒットし、日本の高度経済成長の立役者となった乗り物だ。誕生は60年も前のことで、生産累計台数は昨年1億台を超えた。成功は日本にとどまらず海を越え、160カ国以上に販売している。

モノが良いのはもちろんだが、国内市場においては、販売網の早期獲得もヒット要因のひとつだろう。1952年にスーパーカブの前身となるF型カブを開発した本田宗一郎氏は、全国5万の“自転車店”に熱のこもった手書きの手紙を送り、良品を収めることで信頼を得ていった。また宣伝も斬新で、発売前から新聞に広告を出し、発売後も「ソバも元気だ、おっかさん」のキャッチコピーで雑誌を賑わした。

これは東京へ蕎麦修業にきている若者が、実家の母親へ報告の手紙と写真を送り、母親がそれを見ているという想定。手紙には「この店にはスーパーカブがあるのが魅力です。出前迅速、ソバはノビないとあって、お得意さんはガ然ふえました。片手運転もOKの素晴しい性能、ボクだって働きがいがあります」とあり、おもしろおかしく、しかし的確にスーパーカブの魅力を伝えている。

国内に加え海外での成功においては、「操作性」「積載性」「走破性」「燃費」「耐久性」という5つのキーワードが挙げられる。通常バイクの左側グリップ部にはクラッチレバーがあるが、スーパーカブにはない。それは本田宗一郎氏が「蕎麦屋の出前が “おかもち”を持ったまま乗れるように」という要望によるもの。その実現のために左足のペダルだけで変速を可能とする自動遠心クラッチを開発。これにより左手はフリーとなり、難しい操作は不要となった。

▲本田宗一郎氏(写真中央)とホンダ開発陣。スーパーカブを企業の底辺を支える大量生産モデルとし、世界に普及させる想いは開発当初からあったという

先のキャッチコピーに“片手運転もOK”とあるのはそのためだ。昭和30年代の日本や新興国では、免許のない子供が運転したという逸話が残っているほどで、たとえバイクであっても自転車感覚で乗れるほどイージーな存在だったのだ。

積載性に関しては、シート後方に大きなキャリアを備えていた。アジア諸国では子供と大きな荷物を載せて走っている姿は一般的で、しかもそこそこのスピードで走っている。当然道路はアスファルトばかりではないが、スーパーカブは走破性に優れる17インチを採用。そのため悪路も難なくこなし、それでいて燃費が良いのも特徴だった。

発売当時、小排気量車はパワーの出やすいストロークエンジンが有利だったが、煙が出て飲食店の配達に向かず、排気がクリーンでないと女性に嫌われてしまうと、4ストロークエンジンにこだわった。これが優れた燃費性能やタフさを生み、1983年には前人未踏の180km/Lという驚異的な数値を実現したのだ。

▲1971年、ホンダの二輪車生産が1000万台を突破。節目ごとに本田宗一郎氏は式典を開いてきた。笑みを浮かべて跨がるのは、もちろんスーパーカブ

タフという点では、「オイルが入っていなくても壊れない」という都市伝説も存在する。実はコレ、あながち冗談でもなく、オイル交換を依頼されたバイク店が、入っているオイルを抜こうしたところ、一滴も出てこなかったという話もあるほど。さらにガソリンの質は世界中で異なり、日本のように質の高いガソリンばかりではない。そんな状況下であっても、優れた性能を発揮したからこそ、広く普及したのだ。

そんなベストセラーのスーパーカブだが、実は基本構造やフォルムは1958年の発売当初から大きく変わっていない。後にさまざまなエンジニアやデザイナーが、今までにない新しいスーパーカブをつくろうと試みたが、結局変えなかった。重量物であるエンジンや燃料タンクを車体の中心に置くレイアウトが利にかなっているなど、車体を見直せば見直すほど初代の完成度の高さに気付いたという。つまり、変えなかったのではなく、60年もの間、スーパーカブは変える必要がなかったのだ。

<いきなり“スーパー”が付いたワケ>

スーパーカブ誕生の6年前。創業間もないホンダは、200社以上あったバイクメーカーのひとつでしかなかったが、旧日本軍の払い下げ品である無線機用発電エンジンで、自転車に後からエンジンを組み込む「カブF型」を発売し大ヒット。これが初代“カブ”であり、車体も専用開発し、1958年にデビューさせた渾身の1台が“スーパーカブ”となったわけだ。

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