華麗なるアメリカ海軍飛行展示チーム「ブルーエンジェルス」をF-4JファントムⅡで製作!【達人のプラモ術<F-4JファントムⅡ ブルーエンジェルス仕様>】

【達人のプラモ術】
造形村
1/48 F-4JファントムⅡ
ブルーエンジェルス仕様

01/06

さて今回のお題は「F-4JファントムⅡ」です。以前、1/72で空軍型の「F-4EファントムⅡ」を紹介していますが、今回は1/48スケールで、アメリカ海軍において1970年代から使用されていたJ型、ショートノーズが特徴の海軍型ファントムをチョイス。

当時の海軍ファントムといえば派手なマーキングでモデラーにも人気が高いのですが、今回は別売のデカールを使用してアメリカ海軍の飛行展示チーム『ブルーエンジェルス』仕様で製作します。

1/48スケールモデルということもあって、パーツ数も300超えとボリュームも満点。キモは別売デカールを使ってのマーキングとカーモデル顔負けのハイグロス塗装になります。乞うご期待!(全6回の1回目)

長谷川迷人|東京都出身。モーターサイクル専門誌や一般趣味雑誌、模型誌の編集者を経て、模型製作のプロフェッショナルへ。プラモデル製作講座の講師を務めるほか、雑誌やメディア向けの作例製作や原稿執筆を手がける。趣味はバイクとプラモデル作りという根っからの模型人。YouTube
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■ブルーエンジェルス(Blue Angels)とは?

ブルーエンジェルスは1946年に結成されたアメリカ海軍の飛行展示チームの名称で、空軍のサンダーバーズとともに世界屈指のアクロバット飛行能力を誇り、結成以来アメリカ国内において、毎年34カ所、70回以上の展示飛行をこなしています。また海外の航空ショーへの遠征も多数行っています。

ブルーエンジェルスの機体は、伝統的に青をベースに黄色のラインが描かれたデザインを採用していて、パイロットは黄色のヘルメットにゴールドのバイザー、専用の青い飛行服を着用。また激しい機動飛行を行うにもかかわらず、Gスーツや酸素マスクを着用しないという伝統もあります。

▲Blue Angelsの部隊エンブレム

 

■チーム名『Blue Angels』はナイトクラブの名前から

結成当時はグラマンF6Fヘルキャットを使用、その後F8Fベアキャットになり、ジェット時代に入るとF9Fパンサー、チャンスボードF-7Uカットラス、F9Fクーガー、グラマンF-11タイガーが使用され、1969年から1974年までマクダネルダグラスF-4JファントムⅡがチームの機体となります。

1974年以降は、A-4スカイホーク、ノースロップ(現ノースロップ・グラマン)F/A-18A/Bホーネット、F/A-18C/Dホーネットを経て、2020年からF/A-18E/Fスーパーホーネットを採用と、常にアメリカ海軍の第一線で活躍する戦闘機が採用されてきました。

▲2020年からブルーエンジェルスで使用されているF/A-18E/Fスーパーホーネット ©U.S.NAVY

ちなみにチーム名のブルーエンジェルスは、1946年に初期のチームがニューヨークに遠征した際に、メンバーがニューヨーク・マガジン誌を読んでいて、当時有名だった「ブルーエンジェルズ・ナイトクラブ」の名前を気に入って採用されたとのこと。

 

■日本に来たのは1回のみ?

華麗なアクロ飛行で、世界中の航空機ファンを魅了するブルーエンジェルスは、1971年秋に創設25周年を記念した極東ツアー(韓国・日本・台湾・フィリピン・グアム)の一環として日本を訪れています。

航空自衛隊小牧基地で開催された『国際航空宇宙ショー』で日本で初となる展示飛行を行いましたが、F-4ファントムが4機編隊で超低空飛行をおこなったため、エンジンの轟音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が殺到。展示飛行は1回のみで打ち切られてしまいました。

▲1971年、チーム創設25周年を記念した極東ツアーの一環で来日した際に富士山上空で撮影されたブルーエンジェルス ©Blue Angels McDonnell Douglas F-4 Phantoms (National Naval Aviation Museum)

帰国の際に経由地の三沢基地で非公式の展示飛行を行ったものの、自慢のアクロ飛行を非難されたことから、激怒したメンバーの一人が「日本では二度と飛ばない!!」と捨て台詞を吐いたと言われています。そのためかどうかは不明ですが、1971年以降、2023年の今年までの51年間ブルーエンジェルスは来日していません。

 

【次ページ】ブルーエンジェルスのデカールを別途用意

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