「バイク王国・台湾」の代表的モビリティメーカー・KYMCO。バイクマニアからコアな人気を得続けるそのワケは?

世界有数の「バイク王国・台湾」。2025年時点でのバイク保有台数は約1400万台で、計算上では「1.6人につき1台のバイクがある」とも言われています。

そんな「バイク王国・台湾」において、一時期まで市場占有率30%超えのトップシェアを誇り続けたモビリティブランドがKYMCO(光陽工業)です。

▲KYMCOのスクーター「X-TOWN CT125」

▲KYMCOの四輪バギー「MXU150X」

KYMCOではスクーターや四輪バギー(ATV)を多くラインナップしており、日本でも2001年より輸入販売されるようになり、今年で25年になります。特に日本のバイクメーカー4社のモデルを前に、当初からKYMCOが日本人ユーザーに受け入れられたわけではなかったようですが、それでも「本当にバイクを知る人」の間で評価され、一部マニアから熱視線を浴び続けるブランドでもあります。

ここでは、KYMCOのストーリーについて、現在の日本国内販売総代理店・SMIモビリティの雇 暁次郎さん、花井貴之さんに聞きました。

KYMCOはホンダのDNAを強く受け継ぐブランドだった

 

▲SMIモビリティの顧 暁次郎さん(右)、花井貴之さん(左)

 

KYMCOブランドを展開する光陽工業は1964年、台湾南部の都市・高雄に設立されました。

その後、1975年に日本のホンダとの技術協力契約締結によって、台湾における二輪製品の製造・販売を開始。台湾でのホンダのバイクのライセンス生産を行い、ホンダにとっての海外拠点の一つでもありました。花井貴之さんはこう話します。

「20年以上にわたってホンダと光陽工業はともに事業利益を増やしたと聞いています。光陽工業としては、ホンダから受け継いだ『真面目なものづくり』……製品の性能面はもちろん、部品供給、アフターケア、サービスを継承しました。言わば『ホンダの考え』が根っこにあるのが光陽工業だと思います」(花井さん)

▲光陽工業とホンダの技術提供締結前後、台湾に建設中だった工場へ見学に訪れた本田宗一郎が乗るクルマを見送る社員たち

 

▲本田宗一郎と、光陽工業・創業者の柯光述

▲光陽工業が最初に手がけたホンダのモデル「C200」

【次ページ】28年後、蜜月だったHONDAと

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