映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【5】照明器具 光について

■ロウソクという照明

日本の都市部の照明は「明るすぎる」と思うのは自分だけだろうか? 特に東京などはどこに行っても明るく、夜が無い。だから星が綺麗だと思う事もないし、月明かりの明るさを感じる事もない。

以前、自転車旅で山の上にキャンプした時、月が綺麗だったので、おそるおそる夜中に散歩した事がある。満月に近い月はとても明るい事をその時に知った。山だから照明などは無い。通常は真っ暗闇だ。しかし懐中電灯はいらなかった。

月が路上を青く照らしてくれて、何もなくても充分に歩く事ができた。青い自分の影ができるほどで、とても静かで美しかった。

僕はキャンプのテントの中では、いつもロウソクを使っている。キャンドルランタンではなく、ちょっと太めのロウソクを持っていって、板に貼り付けて固定して使うのだ。

必要な時だけバッテリーライトを使う。狭いし危険だ、と思われるかもしれないけど、今のところそれが原因で危険な状態になった事はない。

テントの中で、寝る前などにボーっとその光を見ていると、火の揺らめきが心を落ち着かせてくれるし、ほのかな暖かさもありとても心地良い。これはLEDやバッテリーライトの照明ではなかなか得られない効果だと思う。

それに、この最小の光があれば、他に必要を感じない。

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■夜の過ごし方

そんなわけで、キャンプの経験も大きいけど、僕は自室の普段の生活でも、夜はなるべく照明を少なくしようと心がけている。

蛍光灯のペッタリとした照明を長く付けていると、必要の無いところまで照らして見続けるため疲れてしまうのだ。夜は夜らしい方が落ち着く。

だから、照度が小さくても気に入った照明器具を、アンティークのものから現在のものまでコツコツと集め、組み合わせて間接照明にしている場合が多い。

自室でも蛍光灯(自分は暖色系のもの)は必要な時しか付けないようにしている。

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■ヨーロッパの夜

昔、ドイツに行った時、まず真っ先に感心したのは、照明の少なさだった。街が必要最小限と思われる照明だけで、しかもそれが何よりも美しく配列されていた。

おそらくこれは、ドイツに限らずヨーロッパ全体の傾向なのだと思う。

ヨーロッパでは今でもロウソクの消費量が多いのだ、と、最近あるアンティーク雑貨屋の店主から聞いた。だから、昔からロウソクなどの照明器具で楽しいものが多いのだと言う。

このキャンドルカップはフィンランドのARABIAの古いもので、一見、何の変哲もないキャンドルカップなんだけど、ロウソクを灯すと真っ暗闇の中でウロコ状の模様が浮き上がる仕掛けになっている。この模様は、暗闇にならないと見えない。

少しでも他の照明があると見えなくなってしまうのだ。暗闇に揺らめくその様子はとても美しくて、ひどく気に入っている。

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エンジェルが付いたこのキャンドルスタンドは、スウェーデンのクリスマス用で、ロウソクを4本灯すと、ロウソクの小さな炎による上昇気流で上部のエンジェルが回転し、小さなゴングを鳴らす仕掛けになっている。

何とも楽しくクリスマスらしいアイテムだ。僕はクリスマスじゃなくても時々、冬の寒い日などに灯している。部屋を暗くすると、回転する羽が天井に大きな影を作り不思議な光景を醸し出す。また背後に花などを置くと、やはり大きな花の影が炎で揺らめき、これまた幻想的な空間が出現するのだ。このエンジェルキャンドルスタンド、僕のは古いものだけど、現在も作られており、入手が可能らしい。

やはりヨーロッパは、伝統的にロウソクなどの照明は奥が深いな、と思う。

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■僕の光たち

そんな小さな美しい光のものが大好きで、ご縁のあったものがうちの部屋にポツポツとあり、僕を毎日のように楽しませてくれている。

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この照明器具は最近の国産品で、LEDだ。何の変哲もない円筒型で余計なものが一切付いていない。センサーで人の影を察知すると、ふわりとやさしい光が灯り、しばらくすると、ゆっくりとフェードアウトする。

夜間、トイレに行く時や、電気を付けるまでもないときなど、毎日、大活躍している。僕はこれを古い木製の鳥かごに入れてアレンジしてみた。

こうすると、鳥かごの格子が美しく浮かび上がり、とても美しいからだ。

このイメージは夜の京都の町家や、白川郷など、格子から漏れる光の美しさからヒントを得ている。

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そして毎日活躍している、二つの古い電気スタンド。

これが灯っている様子は、少し離れて見ると、まるでおぼろなオレンジ色の月が二つ浮かんでいるように見えて、これまた美しく、とても気に入っている。

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■闇という毛布

他にも、灯油を使うハリケーンランプや、アウトドア用の古いロウソクランタンなど、いくつか持っている。

僕は、夜を大切にしたいと思うのだ。

なぜ、何でもかんでも明るく照らす必要があるのだろう?

僕は日本が美しくないとしたら、なんでもかんでも明るくしてしまう蛍光灯のせいだと思っている。夜ぐらい自分のお気に入りの小さな照明だけで、闇とお友達でいたい。

まるで毛布のように闇をすっぽりと被り、余計なものを覆った方が良いのではないだろうか?

デジタルではない、曖昧な深い闇の中にこそ、本当の光の輝きが存在するのだと思う。

 


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(文・写真/平野勝之)

ひらのかつゆき/映画監督、作家

1964年生まれ。16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。18歳から自主映画制作を始める。20歳の時に長編8ミリ映画『狂った触覚』で1985年度ぴあフィルムフェスティバル」初入選以降、3年連続入選。AV監督としても話題作を手掛ける。代表的な映画監督作品として『監督失格』(2011)『青春100キロ』(2016)など。

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