生誕60年!歴史的名車から最新モデルまでホンダ「CBシリーズ」の血統を振り返る

■元祖CB「ベンリイ CB92スーパースポーツ」(1959年)

CBシリーズの初代モデルとして登場したのが、1959年発売の「ベンリイ CB92スーパースポーツ」、通称「CB92」です。“スーパースポーツ”を謳った車名の通り、現代につながる市販スーパースポーツバイクの元祖的な存在です。浅間山で開催された第2回全日本モーターサイクル・クラブマンレースで優勝を果たし、その高性能っぷりを世に知らしめました。

▲ベンリイ CB92スーパースポーツ

排気量は125ccながら、エンジンは2気筒。当時としてはハイパワーな15馬力の最高出力を10500rpmで発揮する精密なパワーユニットです。最高速は130km/h。排気量を154ccに拡大した「ベンリイCB95スーパースポーツ」も用意されていました。

 

■ナナハンブームを巻き起こした「ドリームCB750FOUR」(1969年)

その「CB92」の登場から10年後の1969年に発売されたのが「ドリームCB750FOUR」です。当時、ホンダは「スーパーカブ」などの人気でバイクの生産量では世界一となっていましたが、北米市場で人気の高いハーレーダビッドソンやトライアンフなどに対抗できる大排気量モデルは、まだラインナップされていませんでした。そこで世界最高峰の高性能を狙って開発されたのが、このマシンです。

▲ドリームCB750FOUR

搭載されたエンジンは量産車としては世界初となる空冷のSOHC4気筒。それをアピールするかのようにマフラーも4本出しとなっています。最高出力は67馬力を8000rpmで発揮。最高速はこちらも量産バイクとしては世界初となる200km/hオーバーを達成していました。

その性能の高さから、発売と同時に大人気となったこのモデル。当初はクランクケースなどは砂型鋳造とされていましたが、受注台数の多さに途中から金型鋳造に生産方式が改められたほどでした。ライバルメーカーも相次いで750ccモデルを発表し、国内に“ナナハンブーム”を巻き起こします。日本国内では排気量を750ccまでとする自主規制が1989年まで存在しましたが、この規制ができるきっかけとなったのもこのマシンでした。

人気の高さは国内だけにとどまらず、輸出先である北米でも高い評価を受けます。現在でも日本製のバイクといえば4気筒というイメージがありますが、このイメージを作ったのも「ドリームCB750FOUR」だといえます。また、このマシンの売り上げが同社の4輪車生産にも弾みをつけたと言われるほどです。

 

■通称“ヨンフォア”「CB400FOUR」(1974年)

そして“CBといえば4気筒”というイメージを形成したモデルとして忘れてはならないのが、1974年発売の「CB400FOUR」でしょう。4気筒モデルの中型車としては既に「ドリームCB350FOUR」(1972年発売)が存在していましたが、ソリッドカラーに集合マフラーを装備した「CB400FOUR」は”ヨンフォア”と呼ばれて人気を博し、この排気量でも4気筒マシンの地位を不動のものとしました。

▲CB400FOUR

 

■“バリ伝”の記憶が蘇る「CB750F」(1979年)

CBシリーズは、10年ごとに歴史に残るマシンをリリースしてきました。次なるモデルは1979年発売の「CB750F」です。1980年代のバイクブームの頃に青春時代を送った人なら、マンガ『バリバリ伝説』の主人公が乗っていたマシンとして記憶に残っているのではないでしょうか? 空冷4気筒のエンジンはDOHC4バルブとされ、79馬力を発生。輸出向けには排気量を拡大した「CB900F」も用意されました。

▲CB750F

「ドリームCB750FOUR」は北米市場を意識して開発されたマシンですが、このモデルは主にヨーロッパ市場で高い評価を受けます。そのきっかけとなったのが「RCB1000」というレーシングマシン。「ドリームCB750FOUR」のエンジンをDOHC4バルブ化し、排気量を拡大したマシンで、ヨーロッパの耐久レースで“不沈艦”と呼ばれるほど大活躍しました。「CB750/900F」はこのマシンのイメージを受け継ぐ市販モデルという位置づけです。

▲RCB1000

もちろん、レースでの活躍はヨーロッパにとどまりませんでした。アメリカの歴史あるレース「デイトナ100マイル」でも「CB750F」はフレディー・スペンサーが乗り優勝。#19のゼッケンを付けたマシンはCBシリーズのレースシーンでの活躍を象徴する存在となっています。

【次ページ】栄光の歴史を現代に受け継ぐ3つの血統

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