日産トップガンが語る GT-Rの真実(1)聖地ニュルブルクリンクを克服せよ

ーー初のニュルテストは、何名、何台の体制で臨まれたのですか? 先ほど、最初にステアリングを握られたドライバーは現地の方とおっしゃっていましたが、どのような経歴の方だったのでしょうか?

加藤:クルマは先ほどお話した試作車が1台で、日本から向かったのは全部で10名ほど。そのうち実験部は5名くらいでしたね。当時、ベルギーに日産自動車の事業所あって、駐在員もいたのです。ベルギーは経済も金融もEUの中心地ですからね。

最初にステアリングを握った現地のドライバーというのは、そのベルギー事業所にいた人間です。聞けば、レースをやっていて、ニュルを走ったことがあるらしい、と。今にして思えば、ちょっと尾ヒレが付いていたようで、ニュルはさほど走ったことがなかったみたいですけどね(苦笑)。ともあれ、ウチの社員だし、まずは走らせてみよう、ということになったのです。ですから、私たちはドライバー兼メカニックではなく、メカニック兼ドライバーといったスタンスで初めてのニュルに臨んだのです。なので私のニュル初体験は、助手席でした(苦笑)。

ーーテストカーは、どんなスペックのクルマだったのですか?

加藤:見た目こそS13 シルビアでしたが、エンジンはGT-Rと同じRB26DETT型でしたし、駆動方式もフルタイム4WDの“アテーサE-TS”でした。少なくとも日本のサーキットでは“問題なく”走れるレベルに仕上がっていたんです。

ーー記念すべき初のニュルテストですが、テストカーが記録した最初のタイムを覚えていらっしゃいますか?

加藤:いやいや…。実をいうと、半周しか走れなかったんです。油温が上がってしまい、アクセルペダルを踏める状態ではなくなってしまったんですよ。私はクルマの状態をチェックするため助手席に同乗していましたが「もうやめよう。クルマを止めてくれ」と叫んだくらい、油温が危険なところまで上がってしまったんです。

日本で走っても問題はありませんでしたし、ベルギーからニュルまでも自走して行けたんです。通常プラスαレベルの走りでは、問題が出ないレベルに仕上がっていました。それがニュルを走らせた途端、半周でギブアップですよ(苦笑)。

忘れもしない、スタートしてから11kmくらいのところにある“ベルクヴェルク(Bergwerk)”という名のコーナーでストップです。コースは1周約21kmですから、半分で終了ですよ。残りはもう本当に、ゆっくり、ゆっくり走って戻りました。でも、あそこでやめといてよかったんです。後半は3速、4速、5速ギヤで全開のセクションが続きますから、あのままのペースで走り続けていたら、確実にエンジンブローしていたでしょう。何しろ、我々が持って行ったテストカーは1台だけですからね。

ーー意外な結果ですね…。初めてニュルを走られた印象はどんなものでしたか?

加藤:率直にいって「こいつら、何を考えているんだ!?」でした(苦笑)。ドライバーもコースも、そして、コースを作った国も含めて、すべてに驚きましたね。そして、ポルシェはこんな過酷なコースでテストをしていたのか! と。悔しいけれど「これは敵うわけがないな…」と思いましたね。

何がショックだったかというと、コース半周でスローダウンし、残りの10kmを30分くらいかけて青色吐息でピットに帰ったんですよ。ようやくピットに着いて、まずはとにかくクルマを冷やせ、と…。そして、皆でクルマを囲んで、原因を調べないと、直さないと、という感じであわてていたんです。

そんな時、ポルシェ「924」がピットに戻ってきたんです。今にして思えば、ポルシェの開発チームだったのかな、と思いますが、ドライバーはジーンズにTシャツというラフな格好でね。彼はクルマから降りるなり、タバコをくわえながらクルマのまわりを1周して、タイヤの状態をチェックしているんですよ。そして、タバコを1本吸い終えると、またコースに戻って行ったのです。

それを見て「この差はなんだ!?」と思い悩みました。我々だってメーカーですし、結構な規模の体制でテストに挑んでいるのに、1周こなすのもままならなかった。なのにポルシェは、何事もなかったかのように再スタートしていったんですよ。カッコいいなと感じたのと同時に「今に見てろ!!」とも思いました。

ーーご自身でステアリングを握られた、ニュルの最初の1周を覚えていらっしゃいますか?

加藤:ワケが分からなかったです。正直にいえば、怖かったですね。日産自動車のテストドライバーになりたくて、なりたくて、ようやく夢が叶った。もちろん、それなりに経験を積んでいましたし、プライドもありました。その時、テストしていたクルマの名前がGT-Rになるとは思ってもいませんでしたが、日産自動車で一番速いクルマだというのは、うすうす感じていました。ただ、ニュルはおっかなくてアクセルを踏めなかった。何しろ、次に迫ってくるコーナーが、右なのか左なのかも分かりませんでしたからね。

ーーかなりツラいスタートだったんですね。そんな過酷な経験から、R32 GT-Rのデビューまで、あまり時間がなかったかと思いますが、初のニュルで得られたものはありましたか?

加藤:そうですね、1989年にはニュルでR32 GT-Rの試乗会を行っていますが、初めてニュルを走った日から1年弱ですか。GT-R愛好家にはご存知の方も多いのですが、R32のニスモ仕様には、ボンネットフードの先端にモールが付いていたり、バンパーのナンバープレート脇に穴が開いていたりするんです。それらは、ニュルでのテストからフィードバックされたものなのです。ボンネット内に風を入れ、エンジンやインタークーラーを冷やすために有効なんですね。

スカイライン GT-R ニスモ(R32)

現地では、かなり試行錯誤を重ねました。あくまで、テストだからと割り切って、ヘッドライトやウインカーを外して走行するという手もあったんですけどね。そうすることでエンジンルームはかなり冷えるのですが、当時の上司から「ここは公道だ」といって止められました(苦笑)。

結局、1988年10月9日から10月30日まで、1カ月くらいニュルに滞在した結果、最後はなんとか周回できるようになりました。R32 GT-Rについては、ニュルでアラを出し、その対策を施した、という感じでしょうか。結果的にラップタイムで見ると、8分30秒くらいでは回れるようになりました。当時は、9分を切ればかなり速いというレベルだったので、パフォーマンス的にはまあまあ満足できるところまでは到達できたんじゃないかな、と思っています。

ーー松本さんにとっての初ニュルは、R32 GT-Rのデビュー後ですか?

松本:1989年ですね。デビューを前に、ニュルにジャーナリストの方々にお集まりいただいた際、初めて連れて行ってもらいました。その時は、数日間滞在しただけ、という程度でしたけどね。とにかく21kmもありますし、コースレイアウトも分からないので、加藤に運転してもらい、私は助手席で体感した、というのが最初でしたね。それでも「この次はどちらに曲がるんだろう?」って感じで、完全に“お客さん状態”でしたけどね。

加藤:松本はラリードライバーですから、本当はそういったコースは得意なはずなんですけどね。当時も国内ラリーに参戦していて、日本の峠道はかなり走りこんでいましたから。

松本:でも、ニュルは本当に、とんでもないコースでした。実際に行ってみたら、想像と全く違っていました。最初の時は、全然“目”が追い付かなかったのを覚えてます。今になって思い返すと、ベストなギヤに対し、1速もしくは2速下のギヤを使って、妙な汗をかきながら走っていたと思います。コースレイアウトを知らないというのもありましたが、とにかくスピードレンジが高すぎて驚きました。

ーーニュルのコースをゆっくり走りながらテストをしているクルマというのはいないのでしょうか? そして、そもそもニュルでテストを行う意義とは、どんなことなのでしょうか?

加藤:ちょっと前だと、スマートがテストで走っていましたね。開発段階ですから、見ていて「転んじゃうんじゃないか?」と思うこともありました。ほかにも、スピードレンジの低いクルマが時々テストをしていますよ、本当にニュルは“呉越同舟”なんです。

でも、だからといって、ニュルは“共存共栄”ではなく、“共存競争”の世界なのです。そしてニュルは、唯一無二の場所でもあるんです。

例えば、ホンダの「NSX」。私が「GT-Rの方が速い」といっても、それは栃木にある日産自動車のテストコースでドライブしているからです。ホンダさんがホンダさんのテストコースにR32 GT-Rを持ち込んでドライブしてみたら「やっぱりNSXの方が速いじゃないか」っていう話になりかねません。

けれど、ニュルという同じフィールドに、どこのメーカーも自慢のクルマを持ち込むわけですよ。そして、どのメーカーも、超一流のテストドライバー、トップガンを連れてきます。その結果、記録されたタイムを見比べてみれば、公明正大じゃないですか。ニュルっていうのは、そういう場所なんです。

話は少し脱線しちゃいますが、私が現地でテストをしていた時、ある欧州メーカーがZ33 フェアレディを2台、コースアウトさせたんです。それを見た時に私は「やった!」と思いました。

もちろん、彼らがコースアウトしたことや、失敗したことを喜んでいるわけじゃありません。かつて欧州メーカーは、日産自動車のことなど気にも留めていなかったはずです。でも、コースアウトするほどニュルを攻め込んでいた、ということは、自社でフェアレディZを購入し、その性能をテストしていた、ということなんですよ。本気でコンペティターだと思わなければ、他社のクルマなんて買わないですし、ライバルだと位置づけているからこそ、本気でニュルを攻め込んでいたわけです。本当にうれしかったですね。

フェアレディZ(Z33)

ーーライバルメーカーのクルマをニュルで試されることもあるのですか?

加藤:2016年の10月半ばから2週間ほどトレーニングに行った際には、イギリスのナンバープレートを付けたR35 GT-Rにぶち抜かれました(苦笑)。“インダストリープール”(※4)の走行期間中でしたから、プロの集団しかニュルを走ることはできません。ということは、どこかの自動車メーカーか部品のサプライヤーが、R35を持ち込んでテストをしていた、ということです。

※4/インダストリープール ニュルブルクリンクにおける、自動車メーカーやタイヤメーカーなどによる連合。コースを占有してテストや車両開発を行う。

我々も以前、ポルシェの「ボクスター」や「ケイマン」などを購入し、勉強させてもらいました。ですから、先ほどお話したように、他社がZ33を購入していた、というのは、我々にとっては本当に勲章みたいなものなんですよ。なぜなら彼らが、それだけ日産自動車を意識してくれている、ということの証ですからね。(Part.2へ続く)

(文/村田尚之 写真/村田尚之、日産自動車)


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