日産トップガンが語る GT-Rの真実(1)聖地ニュルブルクリンクを克服せよ

●右/加藤博義(かとう・ひろよし) 1957年、秋田県生まれ。日産工業専門学校を経て、1976年に日産自動車へ入社。車両実験部に配属され、「セドリック」、「フェアレディZ」ほかの実験を担当。1988年、シャシー実験課在籍時に、R32 スカイラインGT-Rを担当。その後、R33、R34、Z33フェアレディZの開発・テストを担当する。そこでの成果が認められ、2003年、厚生労働省により選ばれる「現代の名工」を受賞。2004年には「黄綬褒章」も受章している。  ●左/松本孝夫(まつもと・たかお) 1957年、栃木県生まれ。自動車ディーラーのメカニックなどを経て、1978年に日産自動車へ入社。810型「ブルーバード」の耐久性実験などを経て、1993年に商品性実験に移動し、総合評価車両競争力分析を担当。1997年からは、車両商品性実験部でR34、Z33、S15「シルビア」など、主にスポーツスペシャリティカーを担当。現在は、R35、Z34フェアレディZの開発ドライバーを担当する。プライベートでのレース歴が長く、ラリーやダートトライアルのほか、N1耐久レースなど、多くのレースにも参戦・活躍している

ーー今もなお高い人気を誇る“第2世代GT-R”ことR32、R33、R34スカイライン GT-Rといえば、ニュルブルクリンクで実施した本格的なテスト、開発が話題になりました。加藤さんが初めて現地でテストを行われたのは、いつ頃だったのでしょうか? また、現地のファーストインプレッションはどのようなものでしたか?

加藤:初めてニュルでテストを行ったのは、1988年のことです。当時、私は日産自動車・村山工場のテストコースで仕事をしていました。R32 GT-Rがデビューしたのは1989年ですから、発表までもう1年もないというタイミングでしたね。現地の第一印象は…本当に悔しいくらい走れなかった、というものでした。

現地へ持ち込んだのは、外板に偽装を施した試作車で、R32スカイラインのモノコックを使ってはいるのですが、試作部門がデザイン画を描き、先行して発売されたS13型「シルビア」に見えるよう仕立てられたクルマでした。遠目に見ると、ちょっと太ったS13、といった車両です。

このテストカーを、最初は現地のドライバーに運転してもらったのです。当時の私は、ニュルブルクリンクという名も「聞いたことがある」くらいでしたし、何しろ1周21kmもあるコースのレイアウトを全く知りませんでしたからね。今では目を閉じてでも、なんていうとさすがにオーバーですが、臆することなく走れるようになりました、でも1発目の時は、コースイン直後から度肝を抜かれました。

ニュルは、ピットをスタートするとすぐに下りになるんです。2km過ぎにフックスルーレ(Fuchsrohre)という勾配4%くらいの結構な下り坂があるのですが、そこを現地のドライバーは全開でいくんですよ。当時の日本人の感覚からすると、200馬力オーバーのクルマで下り坂を全開、なんて考えたこともなかった。まぁ初めて来た日本人に対して「自分の腕前を見せつけてやるか」なんてパフォーマンスもあったとは思うのですが…。

私はその時「エンジンブレーキを使って下っていくんでしょ?」と思っていましたが、彼は2速、3速って全開で加速していくんですよ。「こいつ、何考えてるんだ!?」と、本当に驚きましたね。

松本:当時、私は栃木のテストコースに所属していました。R32スカイラインについては開発末期から携わりましたが、現在の商品性実験の所属ではありませんでした。

ーー当時の日産自動車には複数のテストコースがあったのでしょうか? また、テストドライバー同士の交流などはあったのですか?

加藤:日産自動車が初めて設けたテストコースは、神奈川の追浜事業所にあるコースです。今は存在しませんが、東京・武蔵村山にあったテストコースは、スカイラインや「グロリア」を生産していた旧プリンス自動車の村山工場内にありました。もちろん、私が入社した1976年には、もう日産自動車になっていましたけどね。あとは、1960年代末に竣工した栃木工場内にもテストコースがありました。

追浜と村山はクルマで2時間くらいの距離にあるので、テストでの相互交流も始まっていました。でも、村山には当時、まだまだプリンス生粋の人が大勢いたんです。こちらも、フェアレディZやブルーバード、セドリックとガチンコでぶつかるクルマが多くあり、本家というプライドもあるから、結局はなかなか相容れませんでしたね(笑)。

その後、会社全体のテストコースを見直す動きがあって、私は1980年に村山工場へと転勤になったのです。一方、栃木のテストコースは、1周6.4kmの高速周回路を備えるなど、当時としては世界屈指の規模を誇りました。ですので、フェアレディZや「プレジデント」といった高速タイプの車種は栃木で、FF車や商用車系は村山でといった具合に、分担してテストを行うことになったのです。その頃の私は、810型、910型のブルーバードや「レパード」などを担当していました。

日産自動車の栃木工場とテストコース

ハンドリングをチェックする村山のコースにはアップダウンもあったのですが、基本的にはセカンドギヤのスピード領域。ですから、ニュルの高速っぷりには、本当にビックリしましたよ。

ーーやはりニュルは、想像以上に過酷なんですね。ドイツをはじめとするヨーロッパの自動車メーカーは、いつ頃からニュルでテストを行っていたのでしょうか?

加藤:ニュルで最も古くからテストを行っていたのはBMW。その次がポルシェだと聞いています。日産自動車が訪れるようになった頃には、すでに欧州メーカーの多くがテストを行っていました。でも、ニュルブルクの村の中に自社のガレージを構えているのは、BMWくらいでしたね。

ニュルブルク村の入口から500mくらいのところに“BMW Mテストセンター”があるんです。村に住んでいる人がガレージを建てるのは問題ないのですが、ニュルブルク村は日本でいうところの景観保護区域になっていて、外部の人間には簡単に建築許可が下りなかったんです。2000年以降は規制がだいぶ緩くなりましたが、それでもガレージを村の中に建てるのは大変なんですよ。日産自動車は、ニュルの村から離れた隣の隣の村、ポルシェは手前の隣村、トヨタは方角違いの隣村といった具合に、すべて村の外にあるんです。

意外に思われるかもしれませんが、メルセデス・ベンツは2000年頃まで、ニュルでテストを行っている姿を滅多に見かけなかったんです。ニュルでテストを行うようになって、村の中にガレージを建てようとしたみたいですが、場所を確保できなかったみたいですね。結局、近隣に工業団地ができたタイミングで、メルセデス・ベンツとフォルクスワーゲン、アウディもガレージを構えるようになりました。

【次ページ】R32 GT-Rの開発が本格的に始まった

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