RothmansやTECH21はみんなの憧れだった!レーサーレプリカの系譜⑤<限定カラー編>

■ヤマハの特別カラーといえば「テック21」

ワークスマシンを模した限定カラーを用意していたのはホンダだけではありません。ライバルメーカーもレーシングマシンのカラーを纏ったモデルをリリースしていました。

▲1987年式「TZR250」(1KT)

NSRのライバルで筆頭に挙げられるヤマハの「TZR250」は、1987年にゴロワーズ(GAULOISES)カラーのマシンを発売(※フランスのタバコブランド)。世界GPでクリスチャン・サロンが駆った「YZR500」で有名になったカラーですね。

▲1988年式「TZR250」(2XT)

1988年にはマルボロ(ワークスチームの名称は「マールボロ・ヤマハ」でした)カラーのモデルもリリース。エースライダーのエディ・ローソンが1984年、1986年、1988年にこのカラーの「YZR500」でチャンピオンを獲得した姿が記憶に残っている人も多いことでしょう。

▲1988年式「FZR250」(3HX)

そして、ヤマハで有名なのは「TECH21(テックツーワン)」カラーでしょう。水色のボディカラーに入ったロゴを覚えてる人も多いはず。これは当時の資生堂が展開していた男性向け化粧品のブランドでした。1985年の鈴鹿8時間耐久レースでケニー・ロバーツと平忠彦が駆ったヤマハTECH21レーシングチームの「FZ750」が、終了30分前までトップを独走したことで鮮烈な印象を残したカラーです(結果はマシントラブルでリタイア)。耐久レースのイメージが強いためか、このカラーを纏ったのは4ストの「FZR250」でした。

▲1986年式「YSR50」

このカラーが、ある世代の人たちの記憶に刻み込まれているのは50ccのマシンにも展開されていたからかもしれません。最初にこのカラーを纏った市販車は、50ccのレプリカマシン「YSR50」。1986年のことでした。

▲1988年式「チャンプRS」

そして、1988年にはスクーターの「チャンプRS」にも採用されます。原付免許しか持っていない高校生などには、身近に乗れるワークスカラーのマシンは憧れの的でした。

▲「YZF-R1」の2019年鈴鹿8時間耐久レース参戦マシン

ちなみに、このカラーは30年以上の時を超え、2019年に復活します。鈴鹿8耐の参戦マシンである「YZF-R1」に34年ぶりに「TECH21」カラーが復活。ゼッケンも当時と同じ21番とされます。結果は惜しくも2位(それもかなり波乱含みの展開)でしたが、当時を知るファンの心を熱くさせてくれました。

 

■記憶に残るスズキのカラーは!?

▲ケビン・シュワンツが駆ったワークスマシン「RGV500Γ」

ワークスカラーを纏ったスズキのレプリカマシンが印象に残っているという人も少なくないことでしょう。

▲1988年式「RGV250Γ SP」(VJ21A)

1988年の「RGV250Γ」のSP仕様には、この年から世界GPへのフル参戦を再開したワークスチームのペプシカラーが設定されていました。ケビン・シュワンツのダイナミックなライディングとともに、鮮烈な印象を残したカラーです。

▲1990年式「RGV250Γ SP」(VJ22A)

1990年モデルのSP仕様にも、スポンサーが変わりラッキーストライクカラーとなったワークスマシンのカラーを設定。1989年からは250ccクラスにも参戦を開始していたので、このカラーはGP250のレプリカマシンでもありました。1991年にはシュワンツがこのカラーリングの「RGV500Γ」でチャンピオンを獲得したことと、インパクトの強い配色でガンマといえばこのカラーを思い浮かべる人も多そうです。

▲1985年式「RG500Γ」

スズキのカラーリングで忘れられないのがウォルター・ウルフ。当時、何の会社か知っていた人は少なそうですが(筆者も知りませんでした)、石油事業で成功したカナダの実業家で一時期はF1にも参戦していました。スズキはこのカラーリングのワークスマシンに水谷勝選手が乗って全日本選手権に参戦していたので、そのレプリカカラーといえます。写真の「RG500Γ」のほか「RG250Γ」や原付スクーターの「ハイ」などにも展開されていたので覚えている人もいるのでは。

*  *  *

レプリカブームの盛り上がりとともに数を増やし、バイク好きたちの羨望の的となったワークスマシンのレプリカカラー。残念ながら、カワサキには限定カラーのマシンはありませんでしたが、ライムグリーンがそもそもワークスカラーという言い方もできるかもしれません。今でも、こうしたカラーのマシンはありますが、原付にまでワークスマシンのカラーリングが受け継がれていたのは、レースでの活躍がそのまま販売促進に結びついていたこの時代ならでは。ライダーが誰しもサーキットに憧れた熱き時代の象徴ともいえます。

 


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文/増谷茂樹

増谷茂樹|編集プロダクションやモノ系雑誌の編集部などを経て、フリーランスのライターに。クルマ、バイク、自転車など、タイヤの付いている乗り物が好物。専門的な情報をできるだけ分かりやすく書くことを信条に、さまざまな雑誌やWebメディアに寄稿している。

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