匠の知恵とワザから生まれた「GRヤリス」がトヨタのモノづくりを変える☆岡崎五朗の眼

■パーツ類のバラツキをゼロにするには時間とコストがかかる

友人から「“ワンメイクレース”に出場して勝ちたい」と相談を受けたとする。彼が初心者なら当然ながら「まずはドライビングテクニックを磨くことが大切だよ」と伝えるが、かなりのドライビングテクニックの持ち主だとしたら話は別だ。「勝ちたいなら潤沢な資金を用意して最高のマシンをつくり上げることが必要だよ」と伝えることになる。

“ワンメイクレース”とは同一車種で戦われるレースのことで、改造範囲も厳しく制限されているケースが多い。マシンの差を可能な限り少なくし、ドライバーのスキル勝負に持ち込むのが本来の目的だ。しかし実際にはそうは問屋が卸さない。販売店で購入した新車はすべて同じ“はず”だが、実はアタリハズレがあり、公道では気づきにくい程度の微妙な差がサーキットでは少なからずラップタイム差となって表面化してくる。意外かもしれないが、同じドライバーでもアタリの個体とハズレの個体とでは1周0.5秒や1秒の差がつくのは当たり前、というのがレース業界の常識である。

なぜそんなことが起こるのかといえば、工業製品にはバラツキがつきものだからだ。許容される誤差はパーツによって例えば1mmだったり0.1mmだったりするが、大なり小なりすべてのパーツには公差(設計値と実測値との違いの許容範囲)が認められている。エンジンやサスペンションやボディなど、数百数千ものパーツでバラツキを限りなくゼロに近づけることなど大量生産では不可能だからだ。

しかし、バラツキをゼロにする方法はある。買ってきたクルマをバラバラに分解し、ひとつひとつのパーツの寸法を精密に測定し、手作業でバラツキを修正し、熟練のメカニックが正確に組みつけ直せばいい。ダンパーなど調整が難しいものは何十本も買ってきて最高のものを選別して使う。時間とカネはべらぼうにかかるが、これをやれば無改造というレギュレーションを守りつつ設計値どおりの最高のクルマが出来上がるというわけだ。逆にいうと、ワンメイクレースでトップ争いを演じるにはこれくらいのことをする必要がある。新車数台分のカネを掛けるなんて常識だよ、という世界だ。

■GRファクトリーのノウハウはトヨタ車の実力を引き上げる

GRヤリスを生産するGRファクトリーのすごいところは、職人の手作業でなければできなかったこうした“完璧なクルマづくり”を、年産2万5000台という準大量生産レベルで実現してしまったことにある。生産ライン(ラインといっても、実際はベルトコンベアの代わりにAGV<無人搬送車>を使った変形セル方式)では、ロボットがやった方が精度を高められる部分にはロボットを、人がやった方が精度を高められる部分には人を配している。一例を挙げれば、シャーシの組み立ては溶接ロボットが担当し、剛性を引き上げるための構造用接着剤の塗布は、その日の気温によって接着剤の粘性が微妙に変わるため人がやる、といった具合だ。そうして組み上がった高精度ボディはさらにレーザーによって精密測定され、その数値は1台ごとに後工程へと送られる。

ここからが圧巻だ。サスペンションアームやダンパーといったパーツも同じく精密測定されていて、土台となるボディと相性のいいものを選別して組みつける。分かりやすく書けば、マイナス1の誤差があるボディとプラス1の誤差があるパーツとを組み合わせれば、誤差はキャンセルされてゼロになるというイメージだ。実際には複数のサスペンションパーツでそれを行っている。もちろん搭載される3気筒エンジンも、3つのピストンや3本のコンロッドの重量測定を行い、バランスを整えている。

GRファクトリーの精度に対する追求はこれだけでは終わらない。サスペンションの組みつけは“ゼロG締め”(車体重量がサスペンションにかかった状態=クルマが実際に走る状態でボルトを締めつける)だし、組み上がったクルマを工場の一角で90度ターンさせて検査工程へと送る際にはターンテーブルを使う。ステアリングを回して向きを変えると横方向の応力が発生し、ブッシュと呼ばれるゴムのパーツに横応力が貯まり精度が狂うからだ。さらにハシゴ上の段差をダダダダッと通過させて各部の残留応力を抜く。しかる後に、タイヤの向きを整えるアライメント調整を2回に分けて実施しラインオフとなるのだが、ここで行われるアライメント調整は一般的な量産ラインで行われるものとは別次元であり、数万円掛けて行う専門ショップと同等の精密さで行われる。

こうして出来上がったGRヤリスは、高性能であると同時に、バラツキが極端に少ない。開発を担当したレーシングドライバーによると「何台乗っても違いが全く分からない」という。これは本当にすごいことであり、まさに革命的量産技術といっていい。

もちろん世の中にはすごい世界があって、例えばマクラーレンのスポーツカーは吟味したパーツを1台1台職人が高精度に組み上げている。しかし価格は2500万円以上だ。BMWをベースにパーツのバラツキ排除と職人ワザを注入したアルピナも、素晴らしい性能と芳醇な乗り味と引き換えに重いプライスタグをつけている。しかしGRヤリスの価格は265万円〜456万円だ。普通のヤリス(139万5000円〜252万2000円)と比べれば高いが、パフォーマンスの高さ+高精度製造、それが生み出す痛快にして上質感すら感じさせるドライブフィールといった付加価値を考えれば間違いなく大バーゲンプライスである。

“カンバン方式”で知られるトヨタ生産システムは、信頼性の高いクルマを安く大量に供給することに貢献し、結果トヨタは世界を席巻した。そこに手づくりによる高精度製造という新たな価値観を採り入れたGRファクトリーは、豊田章男社長が常々口にしている「もっといいクルマをつくろう!」という掛け声を具現化するための革命的な工場だ。GRファクトリーで培った手づくりと大量生産を高次元で融合するノウハウは、今後登場するGRブランドのモデルにとどまらず、いずれトヨタの既存工場にも反映され、トヨタ車の実力をさらに引き上げていくことになるだろう。

文/岡崎五朗 

岡崎五朗|青山学院大学 理工学部に在学していた時から執筆活動を開始。鋭い分析力を活かし、多くの雑誌やWebサイトなどで活躍中。テレビ神奈川の自動車情報番組『クルマでいこう!』のMCとしてもお馴染みだ。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

 

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