どれも記憶に残るモノばかり!国産名&珍オープンカー12選

■意外? 世界初の自動車はオープンモデル

オープンカーというと特殊な乗り物のように感じる人も多いでしょう。しかし、黎明期の自動車はほとんどがオープンカーでした。世界初のガソリン自動車と言われるベンツ・パテント・モートル・ヴァーゲンも、日本初の自動車である山羽式蒸気自動車もオープンモデル。

当時は馬車に蒸気機関やエンジンを載せたようなもの。またパワーがないため、ルーフがあるとその分重くなりつらかったということもあるようです。

▲ダットサン12型フェートン

その後、日本では日産が1933年にダットサン12型フェートン、1935年にダットサン14型ロードスターなどを発表。トヨタは1936年にAB型フェートンを発表します。

▲ダットサンスポーツ

スポーツモデルのオープンカーとしては、Mr.K(ミスター・ケイ)のニックネームで呼ばれ、「Zの父」としても知られる日産の片山豊氏が企画したダットサンスポーツが1952年に発表されています。ダットサンスポーツは日本で初めて“スポーツ”を名乗ったモデルで、これがフェアレディへと進化していきます。

▲S500

1962年にはホンダが4輪事業に参画。最初に開発したS360は発売に至りませんでしたが、1963年10月にS500を発売しました。1966年には後継モデルとしてS800が登場します。

以降、さまざまなオープンカーが国産メーカーから発売されますが、中でも名車として語り継がれるであろう7モデルを見ていきましょう。

 

■日本の自動車史に名を残す名オープンカー7選

1. マツダ ロードスター

▲ユーノスロードスター(NA型)

1989年に登場したマツダ ロードスター(NA型。当時の名称はユーノスロードスター)が日本のオープン史に残る名車であることは誰もが知るところでしょう。

アメリカではオープンモデルの人気が高かったものの、世界的には1970年以降、オープンカーにとって不遇の時代でした。そこに突如現れたライトウェイトオープンツーシターのロードスターが世界中で大ヒット。これに慌てた世界中の自動車メーカーが相次いでライトウェイトオープンを開発します。

ロードスターはとりたててパワーがあるわけでもなく、高級感にあふれるモデルでもありませんでした。それでも多くの人に支持されたのは、クルマと一体になって走る楽しさを多くの人に伝えたからでしょう。

▲マツダ ロードスター(ND型)

初代のコンセプトは1998年に登場した2代目(NB型)へと引き継がれます。3代目(NC 型)はアメリカからの要望でボディサイズが拡大され、排気量も2Lと大きくなりますが、2015年に登場した現行型(ND型)はスカイアクティブ技術を搭載しつつ、初代から続く人馬一体コンセプトを受け継いでいます。

 

2. ホンダ ビート

バブル景気で日本中が浮かれていた1980年代、国産自動車メーカー各社は潤沢な開発費を背景に、これまでにないコンセプトのクルマを作り上げます。

そのひとつが1991年に登場したビート。量産車で世界初となるフルオープンモノコックボディのミッドシップレイアウトを採用した軽スポーツには、NSXやプレリュードのパーツが使用されたり、当時の軽自動車では珍しかった4輪独立懸架式サスペンションや前後異型タイヤ、軽初となる4輪ディスクブレーキやSRSエアバッグが装備されたりしました。

エンジンはNAで64psを発生。現在でもNAで自主規制いっぱいの出力を発生する軽自動車が出ていないことを考えると、このスゴさがわかるはず。

今考えれば速度は決して速くないのですが、その分一般道の法定速度でも操る楽しさを存分に味わえることがビートの大きな魅力でした。

【次ページ】小型車に名オープンカー多し!

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