【ヒットの予感(2/4)】「売るために必要な“差異化”とは?」ハイアール アジア伊藤嘉明

P1010573

ーーいよいよ就職先を決める段階になりましたが、なぜ日本の会社ではなく、あえてタイの現地採用枠に収まったのでしょうか?

伊藤:僕は1969年生まれですが、インターナショナルスクールなので半年遅れ、つまり日本では1学年下の世代になります。その年が、ちょうど就職氷河期最初の世代でした。ひとつ上の世代は都市銀行や商社といった錚々たる企業に入社するわけです。僕も日本に帰って、入社試験を受けました。保険会社の内定をいただいたのですが、車の仕事がやりたいな、と。それでまた人とは違うニッチな方向へと進むことになります。タイに戻って、自動車メーカーの、サーブの総輸入元である「オートテクニックタイランド」に現地採用されるんです。給料が安くなるのは嫌でしたが(笑)。

ーー伊藤さんにとって、いわゆるハングリー精神が鍛えられた貧乏時代というのはその時ですか?

伊藤:その後の大学院にいたときですね。結婚して1年目。25歳で結婚したのですが、大学院に行こうと思って会社を辞めたんです。

ーーなぜですか? キャリアを積めば給料も上がりますよね?

伊藤:上がっても数千バーツですから(2015年9月初のレートで1バーツ=3.3〜3.5円)。普通のレールの上を走るだけのキャリアアップですしね。しかも日本から赴任して来る、自分よりも能力や経験がない若い社員たちの方が、僕よりもいい給料をもらっている現実が悔しかった。

ーーそれで動こうと決めるわけですね。

伊藤:加えて、もうひとつ大切な理由がありました。父の存在です。父親に少しでも近づきたい、近づかなきゃいけない、と。父はタイでモータリゼーションを起こした有名な経営者ですし、父のタイ語はネイティヴレベルです。それに近いのが僕にとっての英語でした。僕はタイ語も話しますし、英語でも話せます。

父は早くに両親を亡くして、苦労した人です。ビジネスをやるという目標はもちろん、偉大な父親に追いつかなきゃいけないと心に決めていたので、学歴や語学は必要でした。

ーーそれを高いレベルで身に付ければ、自分もビジネスで成功できるという確信があったわけですね。

伊藤:僕の思想の根底に、人とは違う“差異化”が必要だという思いがあるんです。父と異なるアプローチとしてはタイ語に加え、英語を習得すれば差がより縮まると考え、かなり勉強しました。もっと語学もビジネスも学ばなければと、サンダーバード国際経営大学院ビジネススクール(以下サンダーバード)に進むことを決めました。

ーー差異化、についてもう少し教えてください。

伊藤:自分自身を市場に陳列された商品に例えると、最強のマーケッターというのは、自分自身を商品として捉えて、どうすればそれが売れるのか、しっかりプレゼンテーションできる人のことだと僕は思っています。逆に自分自身を売りこむのが下手な人は、マーケッターには向いていないのではないでしょうか。つまり“ブランディング”。それが自分を差異化するということです。自分の商品価値を上げるために、何が必要なのかを考える、ということです。

ーーそれはいつから思っていたのでしょう?

伊藤:最初に話したように、タイに育った時点で“よそ者”でしたから。タイ人のローカルに混ざるにしても、タイ語じゃないと本当の意味では混ぜてもらえない。外国人の中に入ったら、英語ができないと話にならない。だから差異化する、自分に付加価値をつける意識は小さい頃からありました。仕事だったら“売るもの”に付加価値を付けつけなきゃダメだと。

その一方で、コモディティ化されたものにも付加価値を付ければ、そのコモディティの法則を崩せるはずです。後に働くことになる、デルのPCのようにコモディティ化されたものでも、戦略によって差異化することができました。その後のソニー・ピクチャーズ時代には、マイケル・ジャクソンのDVD『THIS IS IT』の販売で成功したのも同じ考え方です。

ーー当時のソニー・ピクチャーズの副社長が“伊藤さんは素人だから”と、怒って会議を退席されたけど、結局、最終的には230万枚も日本国内で売り上げた話ですよね。

伊藤:普通のやり方で販売していれば、30万枚程度の売り上げだと言われました。じゃあコモディティ化してしまったDVDも、あえてこれまでと違うチャンネルで販売したら、数字が伸びるだろうなと思ったんです。郵便局やスポーツジムのような、これまでDVDを売っていなかったけれど、「マイケル・ジャクソン」というキーワードに反応してくれそうな人たちが多くいる場所で売るべきだと。

今もそこは変わりません。例えば、ハイアールアジアの世界最小の洗濯機「コトン」。販売テスト的な要素や中国本社との兼ね合いもあり、最初は大手量販店で展開するのではなく、異なる販売方法を検討しようと。最近になって、量販店での販売をスタートしましたが、それまでしっかりとオンラインにて販売してきたこともあり、価格は期待していたレベルで安定の傾向にあります。

ーー完全に伊藤さんの戦略勝ちですね。

伊藤:製品の価値を認めていただき、最初にご購入いただいたお客様を大切にするために、コモディティ化させない方法を考えるのです。

 

P1010637

 

ーーちょっと話を戻しますが、サンダーバードではその後どのような経験をされたのか教えてください。

伊藤:人生を左右するような大きな夢を、ようやく掴みかける寸前に、また手のひらからこぼれていくような経験をします。

ーーどういうことですか?

伊藤:僕はクルマが大好きでした。クルマ関係の仕事に就きたいと考えている学生にとって、非常に名誉ある権利を手にすることが出来ました。いわゆる「モーター(自動車業界)ビッグ3」の一角である、クライスラーでインターンをさせてもらえる、全米でわずか10人しか選ばれない「幹部候補生養成プログラム」のメンバーに選んでいただきました。

ーーすごいですね!

伊藤:僕にしたらアメリカンドリームですよ。さっそく妻と一緒に、ミシガンへと向かいました。ですがその日が嵐で、たまたま信号が壊れていた交差点に差し掛かったんです。そこで気付かずに、なにか変だなと思いながらレンタカーで交差点に入ったら、巨大なクルマに突っ込まれまして。今でも鮮明に覚えています。

55マイル(約85キロ)で、ほぼ正面衝突。あっ!と思った瞬間に、エアバックがドンと飛び出して……。隣を見たら血を流した妻が意識を失っていて。僕自身もシートベルトが体にめり込んで、息ができない状態。意識のない妻に「大丈夫か!」と声を掛けながら、意識が遠のく中で救急車が来て助け出され、病院に運び込まれたんです……。

でも、アメリカは医療費が高いですし、結局、その日のうちに意識を取り戻した妻と夜には退院です。だって、救急車に乗るだけでひとり6000ドル(約75万円)かかりましたからね。

ーー怖い経験ですね。

伊藤:僕も妻も脳波を調べた結果、異常はなかったので、入院する必要はないと。でも、クルマは大破していますし、インターンシップで来たミシガンに、知り合いはいません。それでも必死に過去の人脈などを辿って、サンダーバードの女友達がミシガンに戻っていることを思い出して、急いで連絡しました。迎えに来てくれて、彼女の家にとりあえず身を寄せて。

ーーひとまず知り合いがいて良かったですね。

伊藤:とはいえ、こちらもインターンシップに選ばれて行っているため、それをこなさないわけにはいかないですし。全米10人で、サンダーバードからは自分1人。もしインターンシップの権利を行使しなかったら、翌年からその話が来なくなり、学校に迷惑をかけるのも申し訳ない。とにかく友人宅に3日間だけ滞在させてもらった後、安アパートに移動しました。

でも、クルマに乗っていざ出社しようとすると、運転が怖いわけですよ。時速15キロくらいでも、横からクルマが向かってくると逆方向にハンドルを切ってしまうんです、無意識のうちに。この癖が治るまでに1年くらいかかったと思います。それまで夢にまで見た自動車メーカーでの仕事でしたが、完全に意気消沈ですよ。

インターンシップで一番楽しい仕事って、普段なかなか乗れないクルマをテストコースでドライブできることなんです。クライスラーだったら「ダッジ・バイパー」などの、とんでもないモンスターマシンがずらっと並んでいるわけですよ。でも、怖くてとても運転できない状況で。

ーークルマの事故に遭わなければ、伊藤さんは自動車メーカーを行き来していたかもしれませんし、“よそ者”としての人生を終えていたかもしれませんね。

伊藤:たぶんずっとクルマの世界にいるのではないかと思います。でも、そんな状況でしたから、さすがにクルマは無理だなと。大学院2年が終わる前に、いよいよオファーが来るという段階で、今の自分では自動車メーカーは無理だな、と思いました。本当の意味の挫折ですよね。夢にまでみたドリームジョブを自分から手放すなんて。

そんな体験をしたので、もうとにかく大学院を早く卒業したいと思っていました。普通の学生とは比較にならないくらいに、とにかく授業を詰め込んで。通常2年掛かるところを1年半で修了しました。大学院を修了した後に選んだのは、コンサルティングファームでした。理由はシンプルで、今後役に立つビジネスの基本を叩き込まれますし、経営者に近い仕事だったので。

ーー考え方はあらゆる業種で生かせますね。

伊藤:同時にいろんな業種のコンサルティングをやっていれば、そのうち自分がやりたい業種が見つかるだろうと思ったんです。クルマという自分の情熱を傾けられるものを失ってしまっていたので。

ーー20代後半になって、また自分探しに戻ってしまったわけですね。

伊藤:でも、そのコンサルティングファームの「アーンスト・アンド・ヤング」が日本での事業を立ち上げる時に、オートモーティブプラクティス、いわゆる自動車業界のチームを立ち上げることになり、再び自分は手を挙げました。日本で立ち上げるのなら、自分のキャリアにもプラスになると。

ーー事故に遭いながらも、巡り巡ってうまくいったわけですね。立ち止まらない、諦めないということもビジネスにおいては重要なんですね。

(取材・文/滝田勝紀)


【第3部に続く】9月3日18時更新予定

伊藤嘉明インタビューTOPページ(1/4)

トップページヘ

この記事のタイトルとURLをコピーする