ロードスターだけじゃない!名車アタリ年「1989年」を振り返る

■トヨタセルシオ ~世界のプレミアムカーに肩を並べた初の国産車

日本の自動車産業は、1970年代中盤には世界で大きな力をつけていました。日本車は日米貿易摩擦を象徴する存在で、'81年には日本の自動車メーカーがアメリカへの輸出を自主規制するまでになります。このときアメリカで人気があった日本車は「安くて燃費がよくて壊れない」ものでした。そして日本の自動車メーカーは大きな目標を打ち立てます。「世界のプレミアムブランドと肩を並べる日本車をつくる」と。

ホンダは'86年にアキュラブランドからレジェンドを、日産は'89年にインフィニティブランドからQ45を発売。そしてトヨタは'89年からアメリカでレクサスを展開します。そこに投入されたのが初代LSでした。

レクサスLSが世界を驚かせたのは、なんといっても静粛性。あまりにも静かすぎてエンジンがかかっていることに気付かないオーナーもいた、なんていう逸話もあるほどです。さらに室内の作り込みや走行性も見事で、メルセデス・ベンツやBMWが震撼したと言います。もちろん、ジャパンメイドで品質は折り紙つき。アメリカの富裕層は喜んでレクサスを迎え入れたのです。

そんなレクサスLSは'89年10月、日本でもセルシオとして発売されます。価格は最も安いA仕様が455万円。エアサスで内装も豪華な最高級グレード、C仕様Fパッケージでも620万円でした。ちなみにメルセデス・ベンツSクラス(W126)の300SEが840万円、500SELが1355万円だったことを考えると、セルシオがいかに安いかがわかります。

セルシオが日本デビューしたときはバブル景気の絶頂期。この時期は今となっては信じられないような価格で高級車やスーパーカーが取引されていましたが、一方で取引先の目を考えると、輸入車には乗れずクラウンを選ぶ中小企業や地方の大手企業の経営者もいました。トヨタのエンブレムがついたセルシオ(ちなみに現在のトヨタのエンブレムを最初につけたのが初代セルシオ)は、そんな人たちも選びやすかったと言います。

初代セルシオの中古車は10年ほど前からほとんど見かけなくなりました。2017年9月現在、2代目(20系)ならまだ全国に130台ほどあり、価格帯は20万~100万円。最終型(30系)なら全国で660台ほどあり、価格帯は20万~250万円ほどで取引されています。ただし、セルシオの中古車はVIPカーとしてカスタムされたものが多くなっているので、セルシオのVIPカーが欲しいという人か、意地でもノーマルのセルシオを探して当時の雰囲気を楽しみたいという人以外は、レクサスが日本展開をスタートさせた2005年以降のLSを選ぶのが賢明かもしれません。

 

■他にもある!1989年生まれの名車たち

1989年には他にも、日本にステーションワゴンというジャンルを浸透させたスバルレガシィ、セルシオとともにアメリカでのプレミアムブランド展開を行った日産インフィニティQ45、シルビアとともに走りのFRスポーツモデルとして若者から絶大な支持を得た日産180SXがデビューしました。フルモデルチェンジ組ではトヨタMR2(W20系)、日産フェアレディZ(Z32)、トヨタランドクルーザー80などが登場し、ホンダCR-Xに1.6L VTECのSiRが追加されています。これだけ多くの名車が登場した1989年はまさに「国産車のヴィンテージイヤー」。1989年は、これからもクルマ好きの間で語り継がれていくはずです。

 


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(文/高橋 満<ブリッジマン>)

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