鉄スクーターの代表格・ベスパ。90年代のブーム以前から「クラシック」を貫き続ける老舗専門店に聞いた、日本におけるベスパの現在・過去・未来

日本のバイク市場にベスパが広まった経緯とは?

初めて輸入販売したモデルは、1968年から1963年まで製造された180ラリー。前身の自動車専門店からベスパ専門店へと移行した正確な年は定かではないそうですが、おそらく、この時代から四輪・二輪両方並行して扱うようになっていったのだと石原さんは言います。

▲ルノーの代理店などをやりながら、しばらくは四輪とベスパ双方を扱っていました(画像:東京ヴェスパ)

「ただ、うちがベスパ専門店の最古参かどうかって言われると、難しいんですよ。関東の代理店で古くからやられているお店もありますし、もうなくなっちゃったけど、さらに古くから輸入販売している商社さんもいらっしゃいましたからね。

それに『ベスパ専門店』というのは当時は考えられなくて。東京、京都、大阪ではやはりうちと同じ感じで、四輪とベスパを同時にやっているところしかなかったんじゃないかなと思います」(石原さん)

やがて、大阪にあった商社・成川商会がベスパのスモールボディモデルを大量輸入し販売するようになり、また前述の映画やテレビドラマの影響もあり、一般にもよく知られるようになっていきます。

「成川商会さんがベスパの輸入販売をし始めた頃は、イタリア本国では、すでにクラシックなモデルが廃止となり、さらに進化したベスパがメインになっていたんです。でも、成川さんがピアジオに交渉をして、旧来のスモールボディモデル日本市場だけに向けて作ってくれていたんです。その成川さんが輸入したベスパが市場で受けちゃって、結果的にブームに繋がっていったんじゃないかと思います。

余談ですけど、うちでは70年代にベスパのラリーとかスプリントといった、今ではすごい人気ある車種を売っていました。でも、本国では進化したベスパを売り始めているじゃないですか。そんな経緯から『まずい。この古いベスパ、早く売っちゃわないといけない。旧モデルになったら売れなくなっちゃうから』みたいな話をしていたらしいです(笑)。でも、実際は進化したベスパよりも、この時代までの旧モデルのほうが断然人気があり、今では信じられないほどのプレミアム価格になっています。

だから、ベスパって『クラシックな乗り物だ』ということが一番の魅力で、『性能がアップした』『ウインカーが前後についた』とかを求められる乗り物ではないんじゃないかなと思います」(石原さん)

▲四輪事業をヤメ、ベスパ専門店に舵を切った「東京ヴェスパ」。ベスパの名の由来「スズメバチ」にかけて1988年8月8日に屋号を正式に「東京ヴェスパ」に変更しました(画像:東京ヴェスパ)

 

■1990年代に入ると、後にも先にもないベスパブームが巻き起こる

1980年代中盤からジワジワとベスパのニーズが高まっていき、1990年代に入ると、後にも先にもないベスパブームが巻き起こります。当時の東京ではベスパを見かけない日がないほど浸透したほどで、当時10代だった筆者もブーム直撃を受け2台のベスパを所有していました。

日本のバイクメーカー各社は1980年代に、各モデルの「速さ」「性能」を高めていきましたが、こういった最新技術が投影された日本製バイクと、旧来のベスパが信号待ちで並ぶ様子は、もしかしたらイタリア人から見ると、やや異様な光景だったかもしれません。

「店があった鐘ヶ淵の駅周辺は、地元のオジサンとかオバサンしかいない場所だったんですけど、そういう街に若くてオシャレをした子たちがベスパを求めて来てくれるようになって。近所の人は『見れば、すぐわかるわよ。お宅を目指して来た子たちなんだって』なんてよく言われました」(石原さん)

ただし、ここでさほど笑えない問題も。ベスパは従来のバイクに触れたことがない若者をも魅了しブームに至ったことで「乗りこなせずにすぐに手放す人」も続出したそうです。

「うちでは『ベスパ特有の乗り方』を説明した上で買ってもらっていましたから、大きなトラブルはなかったですけど、当時よくあったのが『走行距離数20キロ』とかの新古車が出回っていたこと。まぁ運転をこなすことができず手放したんだと思いますけど、それだけ多くの人がベスパに乗ってくれた時代だったんです」(石原さん)

▲ブーム当時はインターネットも携帯も一般的ではない時代。ベスパの貴重な情報源の一つは、バイク雑誌に載った「東京ヴェスパ」の広告でもありました(画像:東京ヴェスパ)

 

▲日本のベスパブームの火付役だった成川商会が輸入した旧来式のスモールボディのベスパ。このように木箱の中に2台重ねて輸入されていました(画像:東京ヴェスパ)

 

ベスパブーム絶頂期に訪れた「旧来式ベスパの生産終了」

その空前のベスパブームの最中、転機が訪れます。

1996年を境に、旧来式の鉄スクーター・2ストロークエンジン・ハンドチェンジモデルの生産終了になったのです。これはヨーロッパの排出ガス規制に準じてのピアジオの方針でしたが、この影響で東京近郊に複数存在したベスパ専門店はやがて姿を消すことにもなりました。

「東京ヴェスパ」には影響はなかったのでしょうか。

「ブームの最中では1日1台くらいの感じでクラシックなスモールサイズのベスパが売れていたんですけど、それがやがてなくなり、しばらくはそれから先のPXっていうモデルとか、オートマチックモデルも販売していました。

同時に、日本の景気がどんどん悪くなり、毎年毎年為替相場も芳しくなくなり、イタリアからベスパを輸入するハードルがどんどん上がっていっちゃった。

こういった状況の中で成川商会さんがベスパの輸入をやめて、同時にピアジオの正規ディーラーが日本国内で立ち上がって。『最新のベスパを扱うなら、壁はこの色にしなさい。ロゴはこれにしなさい。スクーターだけじゃなくてアパレルも扱いなさい』といった感じで、要は『全国どこでも同じメニューがあるファミレスみたいな店をやれ』みたいなことを言うわけですよ(笑)。

要はフランチャイズってことですけど、ここでうちは改めて考え直して。

『オートマチックとかも売ってたけど、新しいベスパを売るのはもうやめよう。元々僕たちが好きだった旧来のベスパに戻ろう』と覚悟を決めました。

『為替相場の影響で、かつての倍くらいの価格になったクラシックなベスパでも、試しに輸入してみよう。それで誰も買ってくれないのなら、僕らの仕事は今の時代に必要がないのだから、もうやめるしかないじゃん』とも思いました」(石原さん)

▲2000年代に渋谷に移転した「東京ヴェスパ」(画像:東京ヴェスパ)

▲2000年代に渋谷に移転した「東京ヴェスパ」(画像:東京ヴェスパ)

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