イタリア・ピアジオ社が1946年に誕生させたスクーター、ベスパ。旧来の「鉄スクーター」式の2ストロークエンジン+ハンドチェンジモデルは1996年を境に新車開発が行われなくなり、以降は4ストロークエンジン+オートマティック仕様に変わり今日に至ります。
それでもなお旧式の鉄スクーターモデルの人気は衰えを知らず、特に旧車全体の価格高騰傾向とも相まって、年々上昇傾向にあります。
ベスパがまだ一般に知られる前から輸入販売を行い、そして1990年代の大ブームの一端を支えながら、今日まで「旧式ベスパ」にこだわり続ける専門店の中でも、最古参のひとつと言われるのが、東京・亀戸にある「東京ヴェスパ」です。
▲「旧式ベスパ」にこだわり続ける「東京ヴェスパ」店頭(画像:東京ヴェスパ)
▲今日も連日マニアたちがお店を訪れています(画像:東京ヴェスパ)
ベスパマニアたちの間ではある種カリスマ視されるショップですが、ここではその「東京ヴェスパ」のストーリーと合わせて、忘れられないベスパのヒストリックモデル、そして日本におけるベスパシーンの現在・過去・未来について同店代表の石原功人さんに話を聞きます。
■前身の自動車専門店を含めれば、実は75年もの歴史あるショップだった
▲「東京ヴェスパ」の前身で、1951年創業の「石原モーター商会」(画像:東京ヴェスパ)
▲幼き頃の石原さん(写真左)
古くは1953年、アメリカで公開された映画『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックがベスパにまたがり、また1970年代には松田優作主演のドラマ『探偵物語』のアイコンとしてベスパが扱われ、日本でも少しずつ認知が広まっていきました。
「東京ヴェスパ」の創業は、前身の自動車専門店「石原モーター商会」を含めると、これらよりさらに古い1951年創業。自動車からベスパ専門店に変わっていった経緯を石原さんはこう話します。
「もともとうちの商売は墨田区の鐘ヶ淵にある乾物屋さんだったんです。うちの親父は長男坊だったので、本来なら商売を継がなくちゃいけないんですけど、『乾物屋はイヤだ』と。それで当時はまだ庶民には浸透していなかった『クルマ屋さんになる』と決意して、モータープールと呼ばれた自動車修理工場に修業に出て進駐軍のクルマとかを直していたらしいです。
そこから実家に戻ってきて自動車専門店を1951年から始めたんですけど、創業当初は専門店が少なかったからそれなりに繁盛し、住み込みで働く従業員さんを4〜5人抱えていました。
でも、クルマが少しずつ庶民の間に浸透し始めると、どんどん専門ディーラーができていき、だんだん需要がなくなっていったんですね。
こういった経緯の中で、親父はヨーロッパの乗り物が好きだったので、一時はルノーの代理店なんかもやっていました。また、ラビット(富士重工)とかの日本製のスクーターを売ったりもしていたんですけど、ある日、近所のラビットに乗っていた裕福なオジサンが店にやってきたそうです。
そこで『ベスパ乗ってみたいんだけど、輸入できる?』みたいな話を受けて。そこでうちの親父がなんとなく輸入して、そのオジサンに売ったのが、ベスパを始めた最初の話だったみたいです」(石原さん)
▲「東京ヴェスパ」の前身・「石原モーター商会」創業者の石原○○さん(画像:東京ヴェスパ)



















