ニッポン珍味紀行〜青森県「いがめんち」の魅力を探る

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このマークが下がっている店では、いがめんちを食べられる

 

弘前を「いがめんちの街」にしようと盛り上げた立役者のひとり、いがめんちの普及とPR活動を行っている「いがめんち食べるべ会」の萢中 勉さんにまずは話を伺ってみた。

「いがめんちの歴史については、色々調べたんだけど、自分が直接聞いた一番古い記録は、弘前に住む90歳のおばあちゃんが、おふくろから作り方を教わって、作って食べた、っていう話です。明治時代かな。資料などの記録はないんですよ。ただ大正9年に五能線(鉄道)ができて、その頃から弘前に市場ができてさ。鯵ヶ沢からイカが大量に運ばれてくるんです。それをみんな箱で買って、塩辛とか保存食を作っていた。あと昔は出稼ぎで、漁師が農家の仕事を手伝ってて、そのときに物々交換でイカや魚を持ってきたりしてたみたい。だから弘前とか高杉とか、面白い地域にいがめんちを食べる文化があるんですよ」(※実際には津軽弁で話して頂きました)

鯵ヶ沢の海沿いでよく見られる光景「イカのカーテン」

鯵ヶ沢の海沿いでよく見られる光景「イカのカーテン」

 

青森の日本海側である鯵ヶ沢には通称「イカ焼き通り」という通りがあり、そこでは今もイカが大量に採れる。「イカのカーテン」と呼ばれるほど、イカをずらりと道沿いに干した風景は、この地域の風物詩である(有名になったワサオ犬がいるのも、イカ焼き通りである)。この辺りでは、新鮮なイカが気軽に手に入るので、イカを日持ちさせようという発想はなく、逆にいがめんちの文化はなかった(現在は弘前の影響でこの辺りでも街おこし的にいがめんちが作られている)。

 

鯵ヶ沢では、こんな風にイカをその場で焼いてくれる

鯵ヶ沢では、こんな風にイカをその場で焼いてくれる

 

いがめんちは冷蔵庫のなかった時代、内陸の人達にとって貴重な海の幸を腐らせることなく味わうための保存食でもあったのだ。また、そもそもいがめんちに使われていたのはイカのゲソ部分。身の部分は先に別の料理で美味しく食べ、残ったゲソを捨てずに無駄なく食べ切るための工夫として考案されたともいわれる。「捨てるにはもったいない」という、生活の知恵から生まれた料理なのである。

萢中さんも子どもの頃、母親が作ってくれたいがめんちを食べて育った。大好きだったという。「自分のおふくろが作ってくれたのは、玉ねぎと細長く切ったニンジン、あとササゲが入っていた。かき揚げみたいな感じで、身がきゅっと詰まってカラッと揚がってて。色合いもすごくきれいだったのが印象に残っています。昔は田植えとか手伝って、お昼のお弁当の中に入っていたり、おやつだったり。日持ちするからねぇ。今も食べるけど、自分はシンプルな味が好きですね」

 

「いがめんち食べるべ会」会員の店を紹介するパンフレットとマップ

「いがめんち食べるべ会」会員の店を紹介するパンフレットとマップ

 

いがめんちは実際に作るとなると結構手間がかかり、揚げ物をしない家庭も増えたことから、近年はあまり作られなくなったそうだ。萢中さんはいがめんちを心から好きだったことから、いがめんち文化がなくなってほしくないという想いで、2009年に「いがめんち食べるべ会」を発足。当初は、ご当地グルメのような新しい商品をいがめんちでも開発して、自身の商売に繋がれば、という思いもあったそうだが、結果的には弘前の街の活性化に貢献することになった。

飲食店などで食べられるように地道に普及活動を行い、郷土料理としていがめんちをメニューに入れてもらえないかお願いして回った。マップを作り、会員店にはノボリなどの目印を付け、食べ歩きができるようにした。コツコツと続けた結果、テレビなどメディアの紹介もあり、今では人気が出て、現在会員となっている飲食店は20店を超えている。また、会員でなくとも、いがめんちを作る店が増えてきた。弘前の街の日常として少しずつ浸透してきたのである。

いがめんちの作り方を教えてもらう1・居酒屋編

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