爆盛りで話題の和食処『加賀本店』(山梨)。その本質は“予約”が生む心尽くしのおもてなしにあった

【食はエンターテインメントだ!】

 

山梨県甲府市の閑静な住宅街。その一角に佇む一軒の料理店では、予約の電話が舞台の幕を上げる。その店は、爆盛りでも有名な予約殺到の和食処『加賀本店』。訪れる人の胸に走るのは、高揚と緊張。その感覚はこの店だけに潜む“名を持たぬ何か”から来ているようだ。

『加賀本店』では、日常の”食事”が、エンターテインメントの舞台へと姿を変える。その舞台の幕を最初に上げるのが、“予約”というこの店ならではの儀式である。

 

◾️第一幕:「予約」はメニュー選びの葛藤

“予約”とは、この日の演目(メニュー)を選び取るための合図だ。予約の受付は電話のみ。しかも営業時間内という限られた時間に、演目を選び取らなければならない。人気店であるがゆえ、繋がらないことも珍しくない。その事実だけで胸の奥に小さなざわめきが生まれる。

電話をかける直前、指先が一瞬だけ宙をさまよう。覚悟を決めて番号を押すと、わずかな間を置いて呼び出し音が胸の奥を震わせた。
「はい、加賀です」
その一言が静かな幕開けを告げ、小さな緊張を跳ね上がり次の瞬間、選択を迫られる。メニューを告げるまでのほんの数秒の間に芽生える、短い駆け引き。
(わずか数食の希少品を攻めるか? 人気殺到の定番を押さえるか?)
その短い時間に、いくつもの想いが胸の中で交差する。
(天丼の特上はきっと埋まっている──となれば、狙うは定番のまぐろ丼だ!)
意を決し、「まぐろ丼の特上はどうですか?」と声を乗せる。
「はい、大丈夫です。承りました」
その一言で、胸の奥を覆っていた霧がすっと晴れていった。わずかな緊張の中、訪店日時を伝えると、最初の幕は静かに閉じる。しかし、訪れる日まで胸の奥の高鳴りは細く灯り続けるのだ。

◾️第二幕:着席からわずか5分!主役の「まぐろ丼 特上」現る

▲『加賀本店』外観。この奥で、その日限りの演目が待っている!

予約の日からちょうど一週間、まだ細い緊張が残っていたが、店に向かう車の運転はどこか軽やかだ。峠を越え、店が近づくにつれて胸の奥の鼓動が高鳴っていく。そこで、思わず息を呑んだ。まるで何かの予兆のように雲の切れ間から差し込んだ夕陽が、暖簾を淡く照らしている! その光が視界に入った瞬間、張りつめていた糸がふっと緩んだ。

店に足を踏み入れると、促された席には既に小鉢が四品、静かに出番を待っていた。着席した途端、店員との何気ない雑談とともに熱々の味噌汁がそっと置かれる。この無駄のない流れこそ、『加賀本店』ならではの静かな演出だ。

そしていよいよ、この日の主役が姿を現す。着席からわずか5分。その短さすら、まるで一場面として計算されているかのよう。その先には、予約した者だけが見ることのできる舞台が待っていた。

 

▲まぐろ丼 特上 2200円。3種類のマグロが織りなす深紅のグラデーションが神々しい

目の前に現れたのは、ご飯を覆い尽くすほどに山盛りされたマグロの刺身! まるで舞台の中央に立つ主演が、照明を一身に浴びている姿のように神々しい。

この丼は、仕入れによってマグロの種類も部位も変わる。この日はミナミマグロの赤身、ビンチョウマグロの腹身、そしてタタキの3種類。つまり、この一杯は“今日という日のためだけに用意された演目”。醤油という化粧と、山葵という小さな装飾を纏ったまぐろの一片を口に運ぶたび、赤身の力強さ、腹身の甘い余韻、タタキのとろける調和が表情を変えていく。その移ろいが、胸の奥にそっと残響を落としていった。

 

▲小鉢4品と味噌汁がつく。そして圧倒的な存在感の「まぐろ丼」が中央に鎮座!

海のないこの土地に、なぜこんなにも深いマグロの文化が根づいたのか——。現在、山梨県のマグロ消費量は全国第2位。その背景には、かつて駿河の海から馬の背に揺られ、峠を越えて甲府まで運ばれてきた“魚の道”がある。長い旅路の名残が、静かにこの一杯の奥に息づいている。その背景を知るほど、味わいは深みを増していく。

 

▲店主・加賀美 哲さん。その眼差しの奥に、静かな温度が宿っていた

ふと、「今日はご予約でお越しですか?」という声がカウンター越しに届いた。“予約マン”の異名を持つ店主・加賀美 哲(かがみ さとし)さんの登場だ。

調理人であると同時に、この劇場の舞台監督であり、脚本家であり、そして誰よりも観客を楽しませる演出家でもある。その声を聞くために足を運ぶ客も少なくない。ひと言交わすだけで、厨房の熱と客席の空気がわずかに揺れる。その揺らぎの先で、この店の“核心”が静かに灯り始めていた。

その核心とは?

 

◾️第三幕:「予約はお互いにとってメリットがあるんです」

 

▲厨房で手際よく料理を作る加賀美さん

胸に潜んでいた“ひとつの問い”。それは、あの一本の電話から始まった物語の核心“名を持たぬ何か”だ。店内が落ち着き、まるで舞台の幕間に訪れる静けさのような時間が流れ始める。その静寂の中、予約マンがふと手を止め、こちらに視線を向けた。

「予約はお互いにとってメリットがあるんです。お客さんは来たらすぐに食べられるし、席も確保できる。こちらも予約があれば仕込みができる。何を作るか分かっていれば、段取りが組めるんですね」。淡々とした語り口に、長年積み重ねてきた経験と確信が息づいている。

その問いに答えている間も、予約マンの手の動きは途切れることがない。キュウリに細かな飾り切りを施しながら、大ぶりの海老フライを油に落とし、客の誕生日のお祝いにさりげなく特別な一皿を差し出す。客に写真撮影を頼まれれば、気さくに応じる。それでもトークの流れに淀みは無い。その所作のひとつひとつが、彼が“予約”という段取りをどれほど大切にしているかを雄弁に語っていた。

 

多くの客が満足して店を後にし、店内には柔らかな余韻が満ち始める。ここで舞台の幕が静かに降り、その後に訪れるのは、予約マンと常連客、そして飲み友達が紡ぐささやかなカーテンコール。

そこには、彼の素顔が最も柔らかく浮かび上がる“夜のひととき”があった。自家製のカラスミを肴に、料理の裏話や青春時代の思い出話で全員が笑い合う。その場の空気に導かれるように、予約マンは即興で炙りマグロの寿司を握り始める。その横顔は職人の厳しさから、いつの間にか屈託のない少年の笑顔へと変わっていた。やがて後片付けを終えた奥さんと息子さんも加わり、店内には温かな家族の温度が広がっていた。

 

◾️終幕:豪快さではなく、心尽くしのおもてなし

「予約とは、完全な店のシステムである」。その言葉は、まさにこの店の哲学だ。『加賀本店』の魅力は、豪快な盛り付けや派手なパフォーマンスで語れるものではない。“予約”という段取りがあるからこそ、“その人のためだけの最高の料理”を迷いなく用意できる。この店の“名を持たぬ何か”とは──予約という儀式によって完成する“心尽くしのおもてなし”にほかならなかった。

 

会計を済ませて外に出ると、夜の闇がすでに街を包み込んでいた。時間の経つのも忘れて長居をしてしまった心地良さを、夜風がそっと撫でていく。ふと振り返ると、暖簾の向こうで「はい、加賀です」という声が聞こえた気がした。それが本当だったのか、ただの空耳だったのかは分からない。

あの一本の電話から始まった小さな物語は、また誰かの手によって幕を上げる。今日の演目は終わったが、この店のショータイムは明日も静かに続いていく。

 

加賀本店
住所:山梨県甲府市大里町2154-117
TEL:055-241-6977
営業時間:昼11:00~14:00 夜18:00~22:00
定休日:月・火曜、不定休あり
>>加賀本店ホームページ

 

橋田直幸|静岡県出身 1級フードアナリスト。静岡県及び山梨県における環富士山地域の食情報を発信するグルメインフルエンサー。吉田のうどんについては特に造詣が深く、「吉田のうどんマイスター」としても活動中。また、料理に対する知識と経験を活かし、食のイベント支援やご当地食材を使ったレシピ監修も手掛ける。>>@ naoyuki_glorious20

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