トラック&バスの「いすゞ自動車」が、かつて“日本一攻めた乗用車”を作っていた!?いすゞの名乗用車5選

■初代は1台ずつ手作業で製造!「走る芸術品」と呼ばれたジウジアーロの傑作――117クーペ(19681981年)

▲1968年発売の初代117クーペ(画像:いすゞ自動車)

 

いすゞ自動車が過去に世に放った乗用車のうち、特に有名なのが1968年発売の117クーペです。自動車はもちろん、あらゆる工業製品の「名作」を生み出してきた巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロが独立した会社で「初めて手掛けた」四輪車で、細部に至るまでかなりこだわりデザインされたと言われています。

しかし、このジウジアーロの強いこだわりに反して、当時のいすゞ自動車の製造技術では、117クーペの特徴である「綺麗な流線型」をプレス機で再現することができませんでした。そこでいすゞ自動車が決断したのは「生産工程の大半を手作業で行う」というもの。

また、いすゞ自動車初の量産DOHCエンジンを搭載したこともあり、結果的に、前述のベレットの2倍ほどの値付けに。これらのことから特に初代は「ハンドメイドモデル」「走る芸術品」と呼称され、今も伝説として語り継がれています。

▲1977年発売の「後期型」117クーペ(画像:いすゞ自動車)

 

▲プラスチックパーツが多用され、初代よりも随分と庶民的に(当時のカタログより)

 

1977年にマイナーチェンジが施され後期型へと移行し、市場では初代よりも多く出回りますが、結果的には1981年に生産終了へ。いすゞ自動車の次なる「攻めたクルマ」として、後述のピアッツァにその座を譲ることとなりました。

■117クーペの後継車として、ジウジアーロがデザインしたスペシャリティクーペ――ピアッツァ(19811994年)

 

▲117クーペの後継車として1981年に発売された初代ピアッツァ(画像:いすゞ自動車)

 

117クーペを手掛けたジウジアーロは、1970年代からアウディ、BMWといったメーカーの名車デザインの集大成としてピアッツァのデザインに着手。当初は「いすゞ自動車の未来のコンセプトカー」として1979年の東京モーターショーに出品しましたが、驚くことにほぼオリジナルの状態で1981年に販売をスタートさせました。通常コンセプトカーは、あくまでもショー的なものであり、量産の場合は、細部を生産しやすいもの、コストを抑えたものに改善してのリリースが一般的ですが、そこはやっぱりいすゞ自動車。ジウジアーロのこだわりをできる限り受け入れ、市販化させます。

▲日本車とは思えない洗練されたデザインです(画像:いすゞ自動車)

 

▲1991年発売の2代目ピアッツァ。ピアッツァらしさがなくなり、結果的にこのモデルがいすゞ自動車最後の「乗用車」となってしまいました(画像:いすゞ自動車)

 

この時代、世界的に注目された空力性能を徹底的に追求したデザインは、やはりいすゞ自動車らしい「攻めた」ものとなり、TVCMなどでも大々的宣伝されますが、デザイン面では高評価を得ながらも販売面では目覚ましいヒットに至らなかったのが残念なところ。

結果、1991年にはフルモデルチェンジを果たしますが、これも販売は低迷し、結果的に1994年で生産終了へ。このピアッツァを最後にいすゞ自動車は、一部SUVを除いて、自社における乗用車生産から完全撤退することにもなりました。

■いすゞ自動車と提携先・GMの「世界戦略車」として開発された「隠れたオペル」――ジェミニ(19742000年)

いすゞ自動車と提携先・GMの「世界戦略車」として開発された「隠れたオペル」――ジェミニ(1974〜2000年)

 

前述の通り、ベレットは「和製アルファロメオ」と呼ばれるほど、良い意味で日本車離れした名車でしたが、1970年代にはそのデザインが陳腐化されたことで、いすゞ自動車では「ベレットに変わるモデル」の開発に迫られていました。

同時期、いすゞ自動車は提携先のGMによる「世界戦略車(グローバルカー)構想」に基づき、当時GMが生産していたオペル・ガデットをベースにジェミニを開発。オペル・ガデットがベースとなったクルマは、シボレー、ポンティアック、セハン(韓国)などにも存在し、世界中に兄弟車を持つという類まれな1台でもありました。

▲ジェミニは世界中に兄弟車を持つ類まれなモデルでもありました(画像:いすゞ自動車)

 

▲2代目ジェミニ。「街の遊撃手」がキャッチコピーでした(画像:いすゞ自動車)

 

一時はディーゼル車の国内販売台数トップに輝くほどのメガヒットを掴みますが、1985年にフルモデルチェンジ。「性能に優れたクルマなのだから」と、これまたジウジアーロにデザインを依頼しますが、その創案が量産化には不経済で、後にいすゞ自動車の社内でリデザイン。これにジウジアーロが納得せず、発売時にはジウジアーロの名が伏せられた、というネガティブな逸話も残しています。

1990年発売の3代目ジェミニまでがいすゞ自動車での自社生産となり、4代目、5代目はホンダ・ドマーニのOEM供給生産となり、2000年にジェミニシリーズは生産終了に至りました。

タクシーや教習車にも採用された、バランス抜群の中型乗用車――アスカ(19832002年)

▲世界中で愛された、いすゞ自動車の隠れた名車・アスカ(画像:いすゞ自動車)

 

1980年代のいすゞ自動車の乗用車といえば、ピアッツァやジェミニといった個性派モデルが頭に浮かびますが、大衆的な中型乗用車も開発しています。それが1983年発売のアスカです。

いすゞ自動車が1960年代から生産を続けてきた中型モデル、フローリアンの後継車として開発された1台で、同社はつの前輪駆動採用車でもありました。

扱いやすく堅牢性に長けたモデルでもあったことからタクシーや教習車に採用され、またアジア諸国、ニュージーランド、南米などにも輸出。ラリー選手権にも参加し、クラス優勝を果たして実に優れた1台でした。

▲ラリー選手権ではクラス優勝も果たしたことで知られています(画像:いすゞ自動車)

 

▲実は質実剛健でバランスに優れた1台でした(画像:いすゞ自動車)

 

1990年代以降のモデルは、ジェミニ同様のOEM供給生産となり、2002年に生産終了に至ります。攻めたモデルが多かったいすゞ自動車の乗用車の中では凡庸な印象がなくもないですが、今振り返ると最もバランスに優れた1台にように映ります。

■乗用車開発に取り組んだ知見は、今のトラック&バス開発にも活かされ続ける

▲今も昔もいすゞ自動車の代表的トラック、エルフ(画像:いすゞ自動車)

 

ここまでの通りいすゞ自動車は、かつて、かなり攻めた乗用車を複数開発していたわけですが、これらの開発で培った知見、技術は当然今日のトラックやバスにも活かされ続けています。

今日では国内の大型・中型トラックのシェアは約40%、さらに世界150カ国以上に輸出をしており、中型・小型トラックの世界シェアでは約13%と圧倒的な支持を集め続けています。同時に、いすゞ自動車による物流や人の移動を支える社会貢献度も極めて高いと言って良いでしょう。

これら今日のいすゞ自動車の地位と社会貢献を思う際、かつて社を上げて世に放ち続けた「攻めた」乗用車たちの存在も、忘れてはいけない重要な題目のように思います。

 

<取材・文/松田義人(deco)>

松田義人|編集プロダクション・deco代表。趣味は旅行、酒、料理(調理・食べる)、キャンプ、温泉、クルマ・バイクなど。クルマ・バイクはちょっと足りないような小型のものが好き。台湾に詳しく『台北以外の台湾ガイド』(亜紀書房)、『パワースポット・オブ・台湾』(玄光社)をはじめ著書多数

 

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