1990年代、日本車が目指した最高出力「280馬力」を振り返る

■日本車が馬力競争に突入した1980年代

1970年代は世界の自動車メーカーにとって暗黒時代であり、大きな転換期でもありました。'73年に起こった第4次中東戦争、その影響によるオイルショックとガソリン価格の上昇。さらには'73年以降の排ガス規制、中でも'70年にアメリカで改正された大気浄化法(マスキー法)をベースとした「昭和50年排出ガス規制」は当時の自動車メーカーにとって、とても厳しいものでした。

各社は燃費性能を高めつつ排ガス規制をクリアするために、触媒方式、希薄燃焼方式などで対応。エンジンパワーを高める方向とは違うカタチでの技術革新が進みました。この流れは'80年代前半まで続きます。

'80年代に入り日本人の生活水準が高まってくると、クルマも高級志向のものや趣味性の高いものが好まれるようになります。それとともに自動車メーカーは他社のクルマと差別化するために徐々にパワー競争が過熱していきました。

トヨタは'81年に登場したソアラやセリカXXに搭載した2.8Lエンジンで170psを達成。'86年のソアラのフルモデルチェンジでは、3Lモデルで230psにまで高めました。

▲ソアラ

日産は'81年、スカイライン(R30)の2000RSで最高出力150psを達成。'83年に追加された2000ターボRSでは190psに到達します。そして'84年には2000ターボインタークーラーRS-Xが205psに達しました。

▲スカイライン 2000ターボインタークーラーRS-X

マツダは'78年に初代RX-7を発売。'83年のマイナーチェンジで165psを発生するターボ仕様を追加。そして'85年のフルモデルチェンジ(FC3S)で185psを発生するロータリーエンジンを搭載。FCは最終的に215psまで出力が高められました。

▲RX-7(FC3S)

当時は5ナンバーの小型車と3ナンバーの普通車では自動車税の税額がかなり差があったため、販売する上ではパワーという大きな付加価値が必要だったのでしょう。また、5ナンバーの小型車でもターボを搭載し、出力を高めたクルマが登場しました。

'80年代は第二次交通戦争と真っ只中で、'88年には年間の交通事故死者数が1万人を超える事態に陥りました。また、若者の暴走行為も深刻な社会問題に。そんな中、日産は'89年にフルモデルチェンジするフェアレディZ(Z32)でついに300psを発生させることに成功します。しかし深刻な社会問題を解決するため、当時の運輸相が自工会に馬力規制を要請。これによりフェアレディZは出力を抑制して280psで発売されました。以降、この280psが日本車の馬力規制の上限となったのです。

ここで当時280馬力規制に達したモデルを見ていきましょう。

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