軽自動車の最高出力は「64馬力」!なぜ今もこの自主規制は残っているのか

▼三菱ミニカ(1989年~)-4輪車世界初のDOHC5バルブエンジン+ターボのDANGAN

アルトワークスの登場以降、軽ホットハッチはアルトとミラの2強状態になりました。三菱はミニカにZEOというモデルを投入するも、若者からは振り向かれません。そこで1989年1月のフルモデルチェンジで、スペシャルモデルを投入します。4輪車世界初となるDOHC 5バルブエンジンに新開発のインタークーラーターボを搭載したダンガンZZです。

デビュー時、ダンガンZZは4WD専用モデルでしたが、'89年8月に貨物登録から乗用車登録に変更されたことにともない、2WDも登場します。そして'90年2月には軽自動車の規格改正が行われ排気量が660ccになりますが、64馬力のダンガンはしばらく550ccのまま販売されました('90年8月から660ccに)。

ほかにもダンガンには片側3連マフラーカッターが装備されるなど、独自の路線を貫いていました。そしてダンガンはかなりの暴れん坊で、パワーを腕でねじ伏せながら走るのはかなり大変だったという話も…。この時代だからこそありえたクルマのひとつだと思います。

▼スバルヴィヴィオ(1992年~)-スーパーチャージャーで武装したRX-R

1970年代~1990年代初頭まで、スバルはレックスというモデルでアルトやミラと競っていました。'89年にはVXというグレードで自主規制に3馬力だけ足りない61馬力を達成。VXは'90年の軽規格変更に伴う660cc化で64馬力に達します。

'92年、レックスは20年の歴史に幕を閉じ、新しくヴィヴィオとして生まれ変わります。そしてヴィヴィオには64馬力を発生するRX-Rが設定されました。スバルの軽自動車は昔から他社とは違う独自の進化をしています。代表的なものが、早くからATではなくCVTを搭載したこと。そしてターボではなくスーパーチャージャーで過給したことです。

ヴィヴィオRX-Rも過給機は低回転からハイパワーを発揮するスーパーチャージャー。また当時では珍しかったルーフの中央に配置されるセンターアンテナを採用しています。さらにヴィヴィオにはモータースポーツ参戦を意識したフルタイム4WDのRX-RAが設定されました。そして日本を飛び出し、海外で開催されるラリーに参戦したのです。

ヴィヴィオRX-Rは他のモデルに比べると探しやすい30台ほどの中古車が流通しています。しかもノーマル、またはノーマルに近いライトチューンで抑えられているものが多いのが特徴。今回紹介したものの中では、もっとも選びやすいと言えますね。

 

■軽自動車の64馬力自主規制はなぜ撤廃されないのか?

登録車にあった280馬力自主規制は2004年に撤廃され、現在では300馬力を超えるクルマも多く登場しています。ではなぜ軽自動車の自主規制は現在でも残っているのでしょうか。理由はいくつか考えられます。

ひとつは登録車の自主規制撤廃が競合する輸入車に対抗するためのものだったこと。日本独自の規格である軽自動車には競合する外国車がないため、規制撤廃の必要はありません。

また、軽自動車が64馬力規制を撤廃して70馬力、80馬力と出力を高めると、リッターカーなどと競合してくることになります。軽自動車はボディサイズや排気量に制限を設けることで税制上の優遇措置を受けていますが、現在はパッケージングの工夫によりリッタカーより室内が広い軽ハイトワゴンも登場しています。出力規制がなくなればますますリッタカーとの差がなくなり、登録車を作っているメーカーはたまったものではないでしょう。

そして軽自動車をはじめ、現在はやみくもにパワーを追い求めるのではなく燃費性能を高めたクルマの方がユーザーから支持されます。軽自動車にパワーを求める人も現在のターボモデルで十分。それよりも燃費がいいものに乗りたい。軽自動車の低燃費化はほぼ上限に達したと言われていますが、それでもメーカー各社は少しでも性能を良くするために努力しています。

こういう時代だからこそ、若かりし頃に憧れたハイパワー軽自動車で当時を懐かしむのもおもしろいカーライフなのではないでしょうか。

 


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(文/高橋 満<ブリッジマン>)

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